口語短歌とは何か④

4 口語短歌と〈私〉 前回までで、明治期の口語短歌のはじまりから、昭和の初期までやっとたどり着いたのだけど、せっかく言文一致運動や自然主義文学にふれたのだから、もう少し、口語短歌の当時の革新性について述べたいと思う。 すなわち、口語短歌という…

口語短歌とは何か③

3 明治期の口語短歌 ・明治期の口語短歌 これから、明治期の口語短歌作品を取り上げていこうと思うけど、その前に、これまでの議論を振り返っておこう。 これまでは、もっぱら「口語」とは何か、ということを議論した。 そして、結論として「口語」というの…

口語短歌とは何か②

2 口語のはじまり ・口語も文語も書き言葉 ここまでの議論をおさらいしておこう。 この曲と決めて海岸沿いの道とばす君なり「ホテルカリフォルニア」 俵万智『サラダ記念日』 この作品は、口語短歌か、文語短歌か。というと、どちらでもなくて、口語と文語…

口語短歌とは何か①

1 口語とは何か 口語短歌とは、何か。例えば、次の作品は、何なのか。 この曲と決めて海岸沿いの道とばす君なり「ホテルカリフォルニア」 俵万智『サラダ記念日』 空の青海のあおさのその間(あわい)サーフボードの君を見つめる 砂浜のランチついに手つか…

短歌時評2023.3

角川「短歌」の令和5年版「短歌年鑑」と短歌研究社の「短歌研究」12月号「短歌研究年鑑2022」を読む。 2022年の回顧的記事では、「短歌ブーム」の話題が多かった。 なんでも、今は「短歌ブーム」なのだという。テレビでも取り上げられ、書店では…

短歌時評2023.1

キマイラと口語は別ものである 口語短歌とは何か。文語短歌とは何か。 そんな短歌の世界の根本的な問題について、一つの回答を示した論考が出版された。川本千栄『キマイラ文語』(現代短歌社)である。 本書では、「口語」と「文語」の違いについて、明快に…

短歌時評2022.11

角川「短歌」八月号の座談会「流行る歌、残る歌」を読む。内容は、というと、大辻隆弘、俵万智、斉藤斎藤、北山あさひの四氏に、今後残るであろう作品をあげてもらい、それぞれ残る理由を述べていく、というもの。 例えば、俵万智なら、「残る歌」の条件とし…

短歌時評2022.9

連作にテーマは必要か? 今年の「短歌研究新人賞」が発表された。 受賞作は、ショージサキ「Lighthouse」30首。 美しいみずうみは水槽だった気づいた頃には匂いに慣れて 東京にいるというよりサブスクで日々を レンタルしている気分 顔も手も胸も知ってる…

短歌時評2022.7

動画的手法とは何か 短歌ムック「ねむらない樹」Vol.8は、「第四回笹井宏之賞」の発表号。二〇一九年の第一回目から数えて、今年で四回目。応募総数は五八九点。去年の「角川短歌新人賞」の六三三点には及ばないものの、「短歌研究新人賞」の五八三点より多…

ご報告

出版社より発表がありましたので、こちらでも報告します。 この度、私、桑原憂太郎は、短歌研究社の第40回「現代短歌評論賞」を受賞しました。 望外の喜びでございます。 9月21日発売の「短歌研究」10月号に掲載されます。

短歌時評2022.5

三つの短歌賞について 去年(二〇二一年)発表された短歌賞から話題を三つ。 一つ目は、「短歌研究新人賞」。受賞作は、塚田千束「窓も天命」三十首。塚田は「まひる野」「ヘペレの会」所属、旭川市在住の三十四歳の医師(受賞時)。作品の主人公は医療従事…

口語短歌の最前線⑤

前回からの続きである。前回より、〈主体〉の認識の流れ、というのをキーワードとして提出している。 そもそも短歌作品というのは、〈作者〉の「感動」を詠む、というのが常道であった。ここでの「感動」というのは、深く心が震えるような「感動」ではなく、…

口語短歌の最前線④

前回からの続きである。 前回、〈主体〉の認識が流れている、という「読み方」を提示した。 横浜はエレベーターでのぼっていくあいだも秋でたばこ吸いたい 永井祐『広い世界と2や8や7』 〈主体〉がエレベーターで秋だなあと、状況を認識して、直後にたば…

口語短歌の最前線③

前回、二つの文章の断片が並んでいる作品を提出したが、こうした断片を無理やり一つの文章にするとどうなるか。というと、次のような作品になる。 横浜はエレベーターでのぼっていくあいだも秋でたばこ吸いたい 永井祐『広い世界と2や8や7』 秋がきてその…

口語短歌の最前線②

前回「短歌的喩」で読むと、いい鑑賞ができるのではないか、というところで話が終わった。 「短歌的喩」とは何か。というと、これは吉本隆明が提唱した概念で、短歌だけにあらわれる独特の比喩の働きをいう。概略をかいつまんでいえば、短歌を上句と下句にわ…

口語短歌の最前線①

(過去に、歌誌に載せた記事の転載です) 昨年(二〇二〇年)永井祐の第二歌集が出た。読むと、これまで短歌の世界にはなかった新たな表現技法が使用されているのが分かる。こうした表現技法が、今後のスタンダードになるのか、ただの実験で終わるのかはまだ…

現代短歌の「異化」について~まとめ

ここまでの議論をまとめよう。 短歌の世界で「異化」の手法として分かりやすいのは、日常にあるコトやモノを別いいかたで表現してみる、という手法である。いうなれば比喩表現のバリエーションなんだけど、そうやって別のいいかたで表現することで、日常の見…

現代口語短歌の「異化」の手法④

前回までは、「異化」作用の手法として、「語順の入れ替え」と「強引な接続」による手法をあげた。 今回は、3つ目として、「流れる認識」による状況の「異化」とでも呼べるものをあげる。 いつも永井祐ばかり掲出しているから、今回は、仲田有里『マヨネー…

現代口語短歌の「異化」の手法③

前回は、「異化」作用の手法として「語順の入れ替え」による手法をあげた。 今回は、2つ目として、「強引な接続」とでも呼べるものをあげる。 掲出歌は、やはり永井祐『広い世界と2や8や7』から。 君の好きな堺雅人が 電子レンジ開けては閉める今日と毎…

現代口語短歌の「異化」の手法②

短歌の「異化」の手法について考えるとき、そもそも日常のコトやモノを「韻文」で叙述すること自体、日常のコトやモノを「異化」している、とおおきく括ることができよう。だからこそ、日常のどうでもいい、ほんの些細な内容のことを詠っても、それなりに詩…

現代口語短歌の「異化」の手法①

今年もよろしくお願いします。 去年から、短歌の「異化」作用について議論している。 そもそも、<短歌で日常を叙述すること自体、日常を「異化」している>、ということは言えるだろう。藤の花が畳にとどいていない、なんていうどうでもいい日常の出来事が…

短歌の「異化」作用とは⑦

現代口語短歌の「異化」作用について議論している。 日常のありふれた光景が、日本語のちょっとした違和によって「異化」されていく、短詩型ならではの状況の「異化」作用について述べてきた。 今回は、今年、出版された平岡直子の第一歌集『みじかい髪も長…

短歌の「異化」作用とは⑥

この多様化された現代で、どうにも古くさく、さらに現代口語でやるのは実に使いにくい短歌の存在意義とは何か。すなわち文芸としての短歌の現代的意義は何か。なんてことを考えると、もう、「異化」作用くらいしかないだろう、というようなことを、このテー…

短歌の「異化」作用とは⑤

前回、大辻隆弘の論考「確定条件の力」(『近代短歌の範型』所収)を引用しながら、斎藤茂吉の『赤光』の四首を掲出した。 すなわち、 氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり あかき面安らかに垂れ稚(をさ)な猿死にてし居れば灯があたりた…

短歌の「異化」作用とは④

今回からは、状況の「異化」とでもいえる、「異化」作用について、議論する。 状況の「異化」とは何か。 まずは、これら作品群の分析からはじめていこう。 氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり あかき面安らかに垂れ稚(をさ)な猿死にて…

短歌の「異化」作用とは③

前回「異化」作用とは、広義の比喩である、と主張して終えた。 それは、空を見上げて、空に浮かんでいる雲が、まるでゴジラのようにみえる、と発見したことで、ただの形状だった雲がもうゴジラにしか見えなくなってしまう、という作用と同じこと。これを書き…

短歌の「異化」作用とは②

前回より「異化」について議論をはじめた。 いくつか作品をあげて解説をしたが、前回取り上げた吉川宏志には、こんな素敵な作品もあった。 円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる 吉川宏志『青蟬』 お祭りの縁日の金魚すくいの1コマ。水の…

短歌の「異化」作用とは①

今回から、テーマを変える。 「異化」について。 けれど、多分、内容は引き続き「韻文」についての議論になると思う。 万葉の時代から現在にいたるまで、いまだに生き残っている五七五七七の定型文芸が、現代でもなお、「短歌」と呼ばれる創作形式として存在…

短歌の「写生」を考える⑧

「写生」をテーマにしたお喋りも、とりあえず今回でまとめとしたい。 前回、次のような疑問を提出した。 それは、短歌の世界で、本当に<作者>の「主観」を排することなんてできるのだろうか、という疑問である。 筆者は、そんなことはできない、と考えてい…

短歌の「写生」を考える⑦

「写生」の話題である。 前回までの議論を整理しよう。 何を議論していたのかというと、これまでの「写生」と現代口語短歌の「写生」は、同じ「写生」でも、作品は違っているのではないか、という話題だった。 そして、その違いというのは、<作者>の「主観…