なぜ、作者はマッチのラベルをみて「かなしいぞ」と思ったのか。
そもそも、私は歌にあるマッチ箱がどんなものか知らない。もちろん今の時代、ネットで画像検索すれば、たちどころに日の丸を持った象の絵柄がディスプレイに映る。なので、作者のうたうマッチのラベルは、大正文化を知らぬ者たちも共有できる。そこで、ああこの歌は、このマッチ箱をうたっているのね、と作者の心情に寄り添うことは可能だ。
けれど、この歌は奔放に過ぎる。どうも作者は読者に寄り添ってほしいなどとは、はじめから思っちゃいないのではないか。マッチのラベルも、俺の「かなしいぞ」も、別に読者にわかってもらおうなんて思っちゃいない、という作者の気ままさを私は感じる。
ただ、そんな作者の気ままさに、こちらとしては逆に惹かれてしまい、作者はなぜ「かなしいぞ」とうたっているのかを詮索せずにはいられなくなるという、逆説にとんだ実に魅力的な一首となっている。
「短歌人」2015年2月号所収