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「歌のある生活」インターネットの世界の歌③

 皆さんは、ツイッターをご存知でしょうか。これ、ごく簡単に言うと、一四〇字以内の短文をネット上で「呟い」て、それを投稿するというものです。橋下徹大阪市長の「呟き」に一〇〇万人ものフォロワーがいることがニュースになったりしましたが、登録をすれば誰の「呟き」でもネット上で読むことができます。私も橋下氏の「呟き」をフォローしていますので、一〇〇万人のなかの一人ということになります。

 私の場合はというと、橋下氏を含めて一二〇人ほどの「呟き」をフォローしています。となると、毎日一二〇人分の「呟き」が私のケータイに流れるのかというと、そういうわけではありません。一日に何度も「呟く」人もいれば、数ヶ月に一回しか「呟か」ない人もいます。橋下氏の例でいえば、氏は一日に三〇回以上「呟く」こともあれば、公務が忙しいと何日も「呟か」なかったりもします。

 私は橋下氏のほかに、全国にいる歌人の「呟き」をフォローしています。歌人であれば自作の歌を「呟い」て、それをツイッター上に投稿しているのではないかと思いがちですが、私がフォローしている歌人のほとんどは、自作の短歌を「呟く」ことはありません。これは、私たちの作歌を思い起こせばわかりますが、短歌を作るのと、思ったことを「呟く」のは、全然別の所作ということですね。それに、ツイッターに自作を投稿しなくても、自作を発表する場はほかにもあるということなのでしょう。

 しかし、自作を「呟く」ことはしなくとも、他の人の歌を「呟く」歌人は多くいます。つまり、自分が「あ、この歌いいな」と思った歌を、どんどんツイッター上で紹介するのです。ですから、私のケータイには、毎日、私の好みにかかわらず、いろいろな人の歌が流れています。例えば、今日だったらこんな歌が流れてきました。

 およげるにちがひなからん子供らの頭見えねど太鼓はきこゆ     木下利玄『紅玉』

 「見せてくれ心の中にある光」小沢健二も不器用な神        千葉聡『微熱体』

 わが頭から帽子をさらう海のかぜジョゼフ・フーシェは子ぼんのうなり

斉藤真伸『クラウン伍長』

 あたらしき生姜を擂ればこの夏の地霊かそけくわれに添ひくる   島田修二『春秋帖』

 こうしてツイッターでフォローしなければ出会うことのなかったであろう歌たちに私は毎日出会うのです。あるときは、なんと私の歌もツイッター上に流れてきました。

 春の日に組織を抜ける爽快よストラヴィンスキを聴いて愉しむ 桑原憂太郎「短歌人」(2013年6月号)

 私の歌を「呟いた」のは、「アゼリア街の片隅で」という名前の方。

 この方、私は一面識もありませんし、どなたか知りません。けど、この方は、面識のない私の歌を恐らくは「短歌人」誌で読んで「あ、この歌いいな」と思って、ツイッターに投稿したのでしょう。そう思うと、私はとても嬉しい気持ちになります。見ず知らずの方に私の歌が届いたのですから。

 もしかしたら、この「かぎろひ」誌にある歌もまた、誰かがツイッター上で「あ、この歌いいな」と思って「呟い」ているかもしれません。私たちが知らないだけで、インターネットの網の中に皆さんの歌が漂っているかもしれないのです。

 

「かぎろひ」2013年11月号所収