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「歌のある生活」国語教科書のなかの歌⑥

 さて、国語教科書に載っている短歌の紹介も今回で最後です。とうとう残り三首になりました。近代から現代へ、現役の歌人の作品も登場してきています。さあ、誰のどんな作品を中学生に紹介しましょう。

 白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり      高野公彦

 高野公彦の登場です。夜の公園でしょうか。霧にしっとりと濡れている自転車が置かれてある。その自転車が、まるで翼をもっているようだと詠っています。

 この歌は、中学生に紹介するにふさわしい作品だと思います。鑑賞のポイントは「ほそきつばさ」です。これで、夜の公園で霧に濡れた自転車が、ぐっと引き立ちます。「隠喩」の効果といえましょう。では、この「ほそきつばさ」は、何をたとえているかわかりますか。正解は、自転車のハンドルです。

 ただ、私は、ハンドルが翼に見えるのは、どうにも無理のあるたとえのような気がしています。けど、この名歌について、そういう意見を言う人はいないようですので、皆さんはすんなりと鑑賞できているのでしょう。

 国語の授業では、まずは「隠喩」をおさえてから、夜の公園で自転車が霧に濡れている情景について、自由に思ったことを発表する、というような学習をするのでしょう。

 次に紹介するのは、河野裕子の歌です。

 土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ    河野裕子

 この歌は、変化球です。現代短歌には、ちょっと変わった、そして面白い歌もありますよ、と中学生に紹介するのでしょう。教科書に掲載されている十二首の中には、秀歌ばかりではなく、こうした変化球もまじっています。私は、教科書に変化球をまじえるのについて反対はしませんが、大賛成というわけではありません。なぜかというと、この歌は河野の代表作というわけではないからです。河野にはもっともっといい歌があります。ですので、この作品で河野裕子を紹介してしまうのは少し残念な気がするのです。

 さて、最後の歌になります。最後は、栗木京子のこの歌です。

 観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生           栗木京子

 栗木の代表作であり、現代短歌の名歌でもあります。

 私は、この作品が中学校の教科書に載っていることに、正直驚きました。中学生には、ちょいと早くないかなあ、と思うのです。せめて高校生だったら、この歌の情感をしっかりと味わえるとは思うけど、中学生には無理ではないか…。

 こうした私の意見は、前回の佐佐木幸綱の作品にもいえました。けれど、教科書は、中学生にはやかろうが、そんなことはおかまいなしに触れさせるわけです。ここに、私は、教科書編集者の見識をみるのです。

 ちなみに、この歌では、下の句が「対句」になっています。「君には一日我には一生」のところです。「対句」によって、語調がよくなって、短歌としての形式が整うということを学習するわけですが、そんな学習事項は、もうどうでもいいように思います。

 編集者は、「対句」を学ばせるために、この作品を載せたのではなく、この作品からたちこめる切ない情感をとにかく中学生に触れさせたくて取り上げたに違いないと、私は確信に似た思いを持っています。

 

「かぎろひ」2015年1月号所収