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「短歌人」4月号ベスト3

ずり下がるライダーベルト押さへつつ正義のための飛び蹴りをせり 河村奈美江

「正義」の歌である。こうした大きな言葉を歌にするのは、たいへん難しい。正面からうたおうとすると、どうしても気負いすぎて、歌にならずに安っぽいアジテーションになってしまうのは、皆さんご承知の通り。ならば、ちょいと斜に構えてアイロニーにしましょうかしら、というのが、せいぜいのところ。しかし、作者は第三の道を行く。

 強いて言えば、ファンタジーといえようか。「正義」という歌にするにはあまりに大きな概念を、別の世界観を創出させることで詩歌に昇華させた鮮やかな一首である。別の世界観とは、すなわち、子どものごっこ遊びの情景だ。

 跳び蹴りをしているのを作者とすると、かなりアクロバティックな読みになるが、ここは素直に、どこかの少年たちが仮面ライダーごっこをしている様子を作者が歌にした、と読むのがいいだろう。幼い子どもが、身体よりも大きいライダーベルトを押さえながら仮面ライダーになりきって、「正義」のために、敵に向かって飛び蹴りをしているのだ。いまどきの子どもがこんな遊びをしているのか知らないけど、仮面ライダーがまごうことなき「正義」だった時代には、そんな情景はあったに違いない、と読者は共感できよう。子どもたちが、かつて、ごっこ遊びに夢中になっていたであろう情景を夢想することで、現実世界の「正義」の意味が生きてくるのだ。

抽出しの中に夜あり少年の失いやすき詩の眠るため         鈴木秋馬

 この抽出しは、自室の勉強机の抽出しだ。夜に、少年は、いつもの勉強机に向かう。そして机の抽出しをひらくと、そこに詩が眠っているのだ。

 まさしく少年の歌だ。ああ、私にはうらやましい。もう私には自分の部屋もなければ机もない。抽出しを探そうとすれば、職場の事務机だ。そんなところには、詩は眠っちゃあいない。代わりに、おどろおどろしいものが入っていて、とてもじゃないが歌になんてできやしない。

 けれど、そんなくたびれたオッサンにも、うら若き少年の頃はあって、あの頃の自分の勉強机の抽出しには、ちゃんと詩が眠っていたのだ。どんな詩だったかと思い出そうとするのだけど、ああ、もう思い出せない。きっと純粋で可憐な恋の詩だったに違いがない。そうだよなあ、そんな感情なんてもうとっくに失われてしまったのだ。こんなにも失いやすきものとは、少年の頃には思いもよらなかったなあ。なんてぼやきつつ、また夜が明ければ、私は職場に向かい、開けたくもない事務机の抽出しを開けるのである。

力まずにひとと会話ができなくてひたすら齧る鳥の肝串      有朋さやか

 肝串である。だいたい、肝串をうたおうとする心意気に惹かれる。だって、どう歌にしようにも、肝串じゃあ上品な歌にはならないに決まっている。それに語感からして、イマイチな感じが漂う。

 しかし、上句からの流れで、ウマい具合に仕上げた。「ひたすら齧る」のカジルというあまり美しくない語の響きも肝串にはぴったりである。そして、結句の体言止め。するすると読ませて、おおこりゃ、着地もいい感じではないか。

 こういう素材の生かし方というのもあるのだなあ。そもそも上句は、詩ではない。にもかかわらず、肝串の下句がつくことで、見事に詩になっている。この構成力も実にすばらしい。感服の一首だ。

 

「短歌人」2015年6月号 所収