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伊福部昭「日本狂詩曲」

 高関健と札幌交響楽団による伊福部昭「日本狂詩曲」ほかのCDが発売された。発売といっても、2014年10月のことだから、もう1年近く前の話だ。

 CDは、こちら。

伊福部昭の芸術10 凛―生誕100周年記念・初期傑作集(仮)

 

伊福部昭の芸術10 凛―生誕100周年記念・初期傑作集

 この「日本狂詩曲」、まったくもう、すばらしい。

 

 実は、私はこの演奏をライブで聴いている。2014年5月の札響定期である。プログラム1曲目が「日本狂詩曲」だったが、はじまりのビオラの一音で、やられてしまった。これまで、いろいろな演奏をCDで聴いたけど、この歌い方はなかった。そして、テンポ設定と音色。もう、すべてが高関ブラボーの解釈だった。

 私にとって、高関健の演奏は、ライブでは札幌交響楽団との演奏しか聴いたことはないけれど、彼の学者肌のアナリーゼには信頼をおいている。演奏会でハズれたことがない。とにかく緻密なのだ。そして、その高関の解釈を、札幌交響楽団はしっかり応えていると感じていた。

 今回の伊福部は、それが完璧というくらいの演奏だった。高関の緻密なアナリーゼもオケの演奏も見事だった。

 Ⅰの「夜曲」。高関のテンポは、遅い。多分、ディスクとして録音のあるすべての「日本狂詩曲」のなかでもっとも遅いんじゃないだろうか。けれど、これが、実にしっくりくるのだ。この遅いテンポが正統なのだという説得力がある。そして、ダイナミクス。高関は拍節単位で、ダイナミクスを計算していることが聴いていてよくわかる。そして、それをオーケストラが見事にこたえる。「日本狂詩曲」のⅠの夜曲は、第1テーマで単旋律が切々と歌い上げるから、その歌い方とダイナミクスが曲にとっては重要になるのだ。それは、ビオラ奏者をはじめとする奏者の巧い下手ではなく、いかに構成するかという指揮者の構成力によるところが大きい。高関は見事に「夜曲」のスコアを読みきっていた。繰り返しになるが、冒頭のビオラの歌い方は、これまでにない解釈であり、まさしく、この歌い方が正統だったとわかるのだ。

 Ⅱの「祭り」。ここでも、高関は決して勢いで曲を流すことはない。やはりテンポは遅め。(私は、スコアを残念ながら持っていないのだが、これが指示されているテンポだと思う。他の演奏は、指示よりも速いんじゃないかというのが私の印象だ)。この曲は、楽譜に正確に演奏すれば、最大限の効果があるといっているかのような、端正な演奏。

 ただし、この曲は何といってもバランスをとるのが非常に難しい。たとえ打楽器協奏曲だとしても、打楽器が終始フォルテで鳴っていたら音楽にはならない。やはり、緻密なアナリーゼが必要になるし、そもそも緻密にオーケストレーションが施されているのだ。単調な旋律の繰り返しにみせて、瞬間瞬間、パッ、パッ、と音色がかわる。この音色の変化を巨大な打楽器編成でいかに聴かせるがというのが、この曲のポイントなのだ。

 伊福部の曲は、重低音でアレグロでフォルテでオスティナートで、とにかくゴリゴリの大味な曲という印象をもたれがちだが、そんなことはなく、この「日本狂詩曲」のように緻密なオーケストレーションでかかれている曲もある(そうじゃなく、ものすごく大味にかかれている曲も、もちろんある)。だから、勢いで押してしまう演奏は、スコアに書かれた精密さまで到達しないのだ。

 高関は、後半になってもテンポを上げない。そして、バランスをきちんと計算して打楽器を鳴らす。なんて、心地いい「祭り」だろう。伊福部が書いた音符が、きちんと鳴っている。粗野とか野蛮とかとは反対の、スタイリッシュな演奏。指揮者の意図がはっきりわかる演奏に出会えるというのは、とても嬉しい。

 ライブで聴いたとき、ああ、この曲だけでもう十分、という気持ちだった。

 それが、CDとなって発売されている。

 聴くと、あのときの演奏が、見事に再現されている。録音技術もホールも響きも、すばらしい。

 かつて、「日本狂詩曲」のディスクといえば、山田一雄、東京交響の1962年録音版しかなかった。私は、この曲が流れたFM放送をカセットテープに録音して繰り返し聴いた。この演奏、悪くない。録音もそこそこしっかりしていて、曲の全体像をきちんと伝えている。

 次に出たのが、おなじくヤマカズ指揮、新星日響の1980年録音版だ。これ、私が買ったのは、1993年発売版だが、たぶん再発なのだろう。これは、まさしく狂詩曲にふさわしい狂ったような演奏。バランスもタテセンもバラバラ。超高速の「祭り」。ただ、これはこれで記念碑的な演奏といえた。

伊福部昭交響作品集

 そうして徐々に伊福部の再評価が高まりつつあったが、決定的になったのが、1995年からのキングレコードによる伊福部シリーズだ。広上、日フィルによる「伊福部昭の芸術」シリーズ。この第1弾の1曲目が「日本狂詩曲」だ。ハイレベルな録音技術と演奏。この録音が「日本狂詩曲」のスタンダードとなった。「日本狂詩曲」だけではなく、伊福部音楽を聴くならこのシリーズだ。このシリーズによるセッション録音は、録音も演奏も本当に申し分ない。「タプカーラ」も「サロメ」も「交響譚詩」も「土俗的三連画」も、この広上、日フィルでの録音を越えるものは出てきていないと思う。

譚 ― 伊福部昭の芸術1 初期管弦楽

 このシリーズが、伊福部の死後も続いていて、2014年で12枚目になった。売れるからだろう、すでにセッション録音された楽曲が、わざわざライブ音源でもリリースされている。

 今回の高関、札幌交響楽団も、このシリーズの一枚で、第10弾目ということになる。

 だから、このシリーズの「日本狂詩曲」の2枚目のディスクということになる。

 ぜひとも聞き比べてほしい。広上、日フィルと高関、札響の「日本狂詩曲」。どちらが、いいだろうか。私は、言うまでもなく、札幌のほうがいい。他の「日本狂詩曲」のディスクと比べてもそうだ。沼尻と都響ナクソス版、岩城と都響のライブ版、小泉和裕と新響の卒寿版。私はこれらのディスクを聴いたけど、今回の札幌版にはかなわない。冒頭のビオラからして高関版は違う。

日本管弦楽名曲集

伊福部昭の管絃楽 Orchestral works by Akira Ifukube

 

 今回、こうして「伊福部昭の芸術」シリーズにこの演奏が名を連ねることになって、本当によかったと思う。この演奏が、「日本狂詩曲」のこれからのスタンダードとなった。このディスクが「日本狂詩曲」の決定版である。そして、演奏している札幌交響楽団が、中央のオケに引けをとらない優れたオケであることもわかったことだろう。