伊福部昭「ラウダ・コンチェルタータ」

 伊福部昭の楽曲で、私は「タプカーラ」も「交響譚詩」も「ヴァイオリンの協奏曲風狂詩曲」も好きだけど、いちばん好きなのは「ラウダ・コンチェルタータ」だ。伊福部版マリンバ協奏曲なのだが、とにかく演奏者のテンションがモロにわかる。マリンバ奏者にとっては、おそらく難曲なのではないかとおもう。

 この曲の録音は、独奏が安倍圭子でヤマカズ指揮の新星日響が初版である。これは、初演のライブ録音でもあった。1979年である。CDはこれ。

 

伊福部昭交響作品集

伊福部昭交響作品集

 

 

伊福部昭交響作品集

 この演奏はすごい。ヤマカズよりも安倍が突っ走る。はじまりはまだオケだけなのでヤマカズにしては実に理性的であるが、序奏部の安倍のマリンバソロは、すでにあやしげなテンションである。続いてアレグロに入り、安倍のマリンバが入ったところから、急激に走る。もう、安倍は最初からトップギアの演奏なのだ。

 聴いている方は、記譜どおりなのかカデンツアなのかさっぱりわからない。とにかく、安倍がエキセントリックに叩いているのである。多分、ステージ上ではヤマカズ並みに跳びはねているんじゃなかろうかと思う演奏である。

 中間部を経て、後半のアレグロも、安倍がぐいぐい押す。だから、タテが合わない。オケがついて行けるわけがないという演奏。

 圧巻がコーダ。マリンバが弦と一緒にオスティナートを刻むのだけど、合うわけがない。途中からタムタムがリズムを刻むがそれとも合わない。ヤマカズはというと、私は勝手に確信しているのだが、拍節では振っちゃあいない。指揮台の上で、管楽器の長大な旋律とともに指揮棒をユラユラさせているに違いがない。そんな状態にもかかわらず、安倍は、後半の1オクターブ上げてのオスティナートで、なおも走る。つまり、本当の独奏となる。弦にも、管にも、打楽器にも合わせず、ひたすら刻む。

 しかし、ここが面白いところなのだけど、終わりは、ぴたっと合うのである。もう、これだけずれていると、指揮者の終止の合図がないと収束しないのだ。だから、ヤマカズがきちんと終わりの指示をだして、フォルティシモで漏らさず終われたのである。トゥッティでタテがあったのは、この終わりだけかもしれない。

 こうして初演の熱狂がひしひしと伝わるディスクなのだが、伊福部が好きな人じゃないと、珍盤扱いされてしまうかもしれない、という演奏だ。

 次に発売されたのは、吹奏楽版。1998年。マリンバ独奏は山口多嘉子。山口のマリンバもなかなか野生的とは思うが、安倍の演奏の後では、実に端正に聴こえてしまうから面白い。セッション録音というせいもあるし、スタンダード盤を作ろうという意図もあったのかもしれない。私は、スコアを持っていないので正確なことはいえないが、この演奏が記譜どおりの演奏なのだと思う。中間部の終わりがカデンツアなのだろう。安倍のと聴き比べれば、安倍がどれだけ楽譜を無視して叩いているかがわかるはずである。

 

シグナルズ・フロム・ヘヴン

シグナルズ・フロム・ヘヴン

 

 

 

 

 この2枚がラウダの現役盤だったが、最近になってCDが発売された。

 ひとつは、岩城と都響の1990年定期ライブ。発売は2014年。もうひとつは、石井真木と新響の1993年ベルリンライブ。発売は2012年。独奏はどちらも安倍圭子。

 

 

伊福部昭の管絃楽 Orchestral works by Akira Ifukube

伊福部昭の管絃楽 Orchestral works by Akira Ifukube

 

 

 

伊福部昭 傘寿記念シリーズの全て

伊福部昭 傘寿記念シリーズの全て

 

 

 

 私としては、安倍が歳をとり、どんな演奏を聴かせるのかに興味があった。

 まずは1990年の岩城指揮。安倍は、1937年生まれだけど、衰えは感じない。ヤマカズ盤と比べて、ずいぶん理性的な演奏。独奏だけなら、この盤がベストかもしれない。序奏や中間部などはもう少しどっしり演奏して欲しいなあとも思うし、なぜがタムタムのバランスがひどく悪い。それが残念な盤である。

 もう一枚の新響のライブだが、これもなかなかいい。オケの演奏が重々しい。やたら重低音を強調したミキシングになっている。ただ、安倍のマリンバが乗り切れていない。初演のときの荒々しさは消えている。ソロリソロリとした演奏だ。年齢による衰えなのかなんなのかはわからない。いいようにとれば枯れた味わいと言えなくもない。ただ中間部はそこそこいい。初演の録音があるだけに、この変わりようはちょっとした驚きである。

 結局、安倍の3枚は、聴く側の好みになってしまうかなあと思う。

 ただ、この曲は、これからも再評価されるに違いない楽曲だと思う。であるから、もしかしたら、今後、もっともっとすばらしい演奏に出会えるかもしれないという期待があるのだ。