といっても也寸志が2歳のときに、龍之介は自殺したから、父親のことは覚えていないだろう。
のちに也寸志は、父親の「蜘蛛の糸」を舞踊組曲として作曲して、それは現在録音されてCDになって聴くことができるけれど、私は、あまりいいとは思わなかった。芥川也寸志の音楽は、何と言っても、20代の初期の頃がいい。
代表作は、「交響管弦楽のための音楽」。1950年の作。
彼が24歳のときの作品。2楽章形式の10分程度の作品であるが、第2楽章の乱暴なアレグロが素敵だ。
私が初めに聞いたのは、高校時代のときだったが、なんだハチャトリアンじゃねえか、と思った。金管の咆哮、ぐいぐいおしてくるアレグロのリズム。まさしく、ハチャトリアンからロシア臭を抜いたような音楽である。
よく聴くと、随所にカバレフスキーの響きもある。芥川は、当時のソビエト音楽に影響を受けていて、のちに自らもソビエトに行ったから、聴けばその影響はすぐにうかがえる。そもそも、3歳の時に家にあったレコードプレーヤーでストラビンスキーの「火の鳥」を聴いたのが、最初の音楽体験だったというから、ソビエト音楽が出発なのだ。
1楽章は、スネアのブラシ奏法が印象的なアンダンティーノ。この1楽章の音楽より、芥川を「都会的」といったりしたのを読んだことがあるが、当時であればいざ知らず、平成の今日では、そうした形容は当てはまらないだろう。それよりも、この「交響管弦楽のための音楽」は、土俗的といったほうがしっくりくる。それは、ソビエト音楽の土着的影響にくわえて、師である伊福部音楽の影響だ。
このほかにも、「交響三章」や「弦楽のためのトリプティーク」といった芥川の初期代表作には、やはり伊福部ゆずりの土俗性が感じられる。これは、メロディーラインもそうだけど、アレグロのオスティナートによるものであろう。
かように芥川の音楽の特徴は、耳に残る線の太いメロディーライン、気持ちの高揚する野蛮なアレグロオスティナート、ということがいえるだろう。
20世紀の現代音楽のなかで、芥川のメロディの主張の強さといったらない。
そして、アレグロ楽章では、じつに音符の数が多い。「交響三章」の第1楽章の第1主題を聴くとそれが顕著である。そして、それをスケールで流すのではなく、メロディーラインとしておさえるので、押しの強いメロディとなるのである。この押しの強さでいえば、ソビエトを代表する作曲家ショスタコービッチのメロディも想起できる。
また、線の太さでいれば、アレグロ楽章だけではなく、レントの楽章でもそうで、芥川の初期の曲で、ふわっととか、もわもわといった旋律線というものはない。
初期の管弦楽はとても若々しい青春の音楽だ。
そのうち、芥川も現代音楽に影響を受けて、作風を違えていくのだけど、そうなると、私にはつまらなくなる。
中期にはエローラ交響曲とか大作もあるが、私には、しっくりこない。
それよりも、映画やドラマの音楽のほうがいい。
そこには、芥川のやはり線の太い旋律が息づいている。
この分野での代表作は「赤穂浪士のテーマ」だ。ボレロちっくな、ぬたぬたとした音楽は、多くの人の指摘どおり、早坂文雄の「羅生門のボレロ」を連想させる。
ほかにも、「八ツ墓村」「鬼畜」「八甲田山」の映画音楽あたりが、わかりやすくて楽しい。どれもCDになっているから、手軽に聴くことができる。
とくに「八ツ墓村」のワルツはお薦めの小品である。
芥川はフォルテで金管を鳴らすことに躊躇がなかったから、吹奏楽作品も普通に書いた。マーチもいくつか作曲しているだが、残念なことにこれが私には、まったくいただけない作品なのだ。
とにかく、ものすごくクドイのである。マーチでこのシツコサといったら他にはない。芥川のぬたぬたとした旋律は、アレグロやボレロちっくなテンポには、はまるのだけど、マーチとなると、まったくいただけない。聞いているだけで、クドイと感じてしまうのだから、演奏している側からすれば、まったく疲れてしまう作品だろう。
ライナーノートには、芥川夫人が主人は楽しそうに作曲していたとあるが、作品はまったく楽しくない。
奇曲の部類にはいるのではないか。
そういうわけで、私のおすすめは、初期管弦楽。
なかでも青春音楽として「交響三章」をおすすめしたいのだが、残念ながら良盤がない。現役では、ナクソス盤しかないと思うが、名盤とはいえない。
もうひとつの代表作「交響管弦楽のための音楽」は、いい盤がたくさんある。ここでは録音も演奏も良好な「蜘蛛の糸 芥川也寸志の芸術1」(本名徹次/日フィル)1999年盤を推薦盤とする。