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歌のある生活17 音楽の歌その4

 

 今回は、音楽を題材にした短歌作品のなかで、私が問題アリと思う歌を取り上げます。

 

 中国の不死の男が街娼を愛する話 夏の楽譜に   「本郷短歌」第四号 服部恵典

 一読、何のこっちゃ、という感想の人が大半じゃないでしょうか。

 これはバルトークバレエ音楽中国の不思議な役人」を題材にしています。このバレエの筋書きを一言でいえば、「中国の不死の男が街娼を愛する話」なわけです。ですから、このバレエ音楽について知らないと、この歌の味わいは半減してしまうと思います。ただし、これは知識の範疇、つまり、この曲を知識として知っているかどうか、ということになります。ですので、問題アリの歌のなかでも、まだ軽微なほうでしょう。

では、次はどうでしょう。

 

シューベルト最晩年の波際をひたひたとゆくピアニストの手は 

紺野裕子『マドリガーレ』

 

 これは、謎解きのような作品です。

 まず、いくつかあるシューベルトの最晩年のピアノ曲を知識として知らないといけない。そして、それらの曲のなかで、波際をイメージさせる曲を思い浮かべなくてはならないのです。そうなると、クラシック音楽にそこそこ詳しい人じゃないと、この歌への共感はできなくなります。これ、「即興曲D899」の第三楽章かなと思うのですが、違うかもしれません。はじめ右手が波のように和音を分散し、その伴奏の上に、死を間際にした、この世のものとは思えない(と、多くの人が賞賛する)名旋律が奏でられます。自分の愛する曲を詩情ゆたかに詠おうとすれば、こうやって詠うしかないよなあ、と歌人として気持ちはわからなくはないのですが、読者からすると、この曲を導きだせるかどうかで、歌の味わいは大きく損なわれてしまうでしょう。

 最後に、大いに問題アリをあげます。

 

 街宣車フィンランディア」を鳴らし去るカラヤン指揮のベルリン響(フィル)か

 小池光「滴滴集」

 

 紺野のシューベルトには、まだ作者の曲への愛情が感じられますが、小池の歌はいけません。これ、フィンランド人が読んだら、不快になるのではないでしょうか。

フィンランディアは、フィンランドの作曲家シベリウスの代表曲です。作曲当時、フィンランド帝政ロシアの圧政を受けていました。シベリウスは祖国民を鼓舞するため、愛国歌として、この曲をつくったのでした。

と、まず読者には、そういうことが知識として知らなくてはなりません。ただし、それは軽微です。私が大いに問題だと思うのは、フィンランディアとわが国の右翼の街宣車を結び付けているところです。これじゃあ、まるでフィンランド第二の国歌と呼ばれるこの曲が、日本の右翼の街宣と同様のものということにもなります。無論、作者は、そんなことは言いません。「カラヤン指揮のベルリン響(フィル)か」とつぶやくだけです。このおさめ方も、何と言うか、クラシック音楽といえばカラヤン、みたいなスノッブ感が醸し出されていて、私には嫌な感じです。

なお、この「ベルリン響(フィル)」の「響」の当て方は誤りです。なぜなら、ベルリンフィルといえば、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団をさし、ベルリン響といえば、ベルリン交響楽団をさすからです。この二つのオーケストラは別の団体です。ですからフィルに「響」の漢字を当てることはできないのです。

 

「かぎろひ」2016年3月号所収