「歌のある生活」19「音楽」の歌その6

 今回からは、音楽を題材にした歌のなかで、「その音楽を知っていてもいいけれど、知らなくても鑑賞できる歌」と、いう作品群をみていきます。

 これらは、二つの種類に分かれます。

「音(おん)を楽しむ歌」と、「意味を楽しむ歌」の二種類です。

 と、いってもさっぱりピンとこないと思いますので、実際の作品をみていくことにしましょう。まずは、「音(おん)を楽しむ歌」からです。

 バッハに登場してもらいます。

 

 雨に弾く一途なこころ連弾のバッハ爆発寸前の恋

                    福島泰樹『エチカ・一九六九年以降』

 私のいう「音を楽しむ歌」というのが、なんとなくわかるでしょうか。この歌は「バッハ」という音の響きを単純に楽しむ歌といえます。別に、バッハがドイツバロック時代の作曲家である、なんてことを知っている必要はないし、ましてや、バッハの連弾曲を知っている必要もない。学校の音楽室に必ず飾られているであろう、彼の肖像画あたりがイメージできるとより楽しいかもしれませんが、別にイメージできなくてもいい。この歌は、「爆発寸前の恋」に、韻がいいというので、バッハを持ってきたに過ぎないわけです。また、「連弾」は爆弾のダンの字ですので、「連弾のバッハ」の「連弾」と「爆発」は、いわゆる縁語といえるでしょう。ですので、サラッと詠っているようで、なかなか技巧的ともいえます。で、縁語でつながっているということと、韻がいいというので「バッハ」と「爆発」をつなげたわけです。

 もう一首、真中朋久の歌を紹介します。

 

 口笛はいつしかワルシャワ労働歌階下の主婦が水を使ひつつ   『エウラキロン』

 これは、なかなか面白い歌です。

 まず、ワルシャワ労働歌。これ、ある時代の労働運動に関係していた人なら、わりとなじみのある歌なのでしょう。平成の世で聴けば、あの頃の郷愁をさそうというような。しかし、誰もが、ワルシャワ労働歌ときいて、郷愁をさそうわけではありませんね。今では、ピンとこない人の方が大多数でしょう。恐らく作者は、ある程度の郷愁があり、歌に詠むことで、ある程度の効果を期待したとは思われますが、すべての読者にそれを期待させるなんてのは、土台ムリな話です。

 そういうわけで、この労働歌、今日の日本で知らなくて当たり前です。また、いま言ったように、ワルシャワ労働歌というのが、日本のある時期、労働運動の歌として流行した、という背景を理解する必要もありません。私達は、この歌が、どういうものかを知らなくてもいいのです。

 じゃあ、どう鑑賞するか。と、いうと、「ワルシャワロードーカ」という音の響きが面白いなあ、と鑑賞すればいいのです。あるいは、「口笛はいつしかワルシャワ労働歌階下(かいか)の主婦が」までの、文節単位での後韻を中心としたA音のしつこさを楽しむ歌なのです。あるいは、ワルシャワのシャワという音が水を使うシャワシャワの擬音と呼応しているので、「ワルシャワ」と「水」が縁語になっているととらえてもいいでしょう。あるいは、「ワルシャワ」から「シャワー」を連想し、「シャワー」から「水」を連想するというのもアリだと思います。

 つまり、この歌は、いろんな角度から音(おん)を楽しむことのできる歌といえるのです。

 

『かぎろひ』2016年7月号 所収