短歌の「調べ」について②

 明けましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願い申し上げます。

 

 前回、「短歌4拍子説」を紹介した。

 復習しておくと、こうだ。

 この説によると、短歌のリズムとは、こうなっている。

 すなわち、

 ♪♪♪♪♪・・・/♪♪♪♪♪♪♪・/♪♪♪♪♪・・・/♪♪♪♪♪♪♪・/♪♪♪♪♪♪♪・/

 

 このリズムで短歌は読まれるのだ、という。

 すなわち、こんな感じ。

 

 もがみがわ・・・/さかしらなみの・/たつまでに・・・/ふぶくゆふべと・/なりにけるかも・/

 

 さあ、この説を、キチンと検討していこう。

 まず、初句「モガミガワ」である。

 2音で1拍ということだから、拍の頭をヒラガナ表記であらわすと、こうなる。「もガみガわ・・・」だ。あれれ、これは、変だ。

 私たちが普通「最上川」を発音するとき、私たちは、一息に「モガミガワ」と言うか、せいぜい「もガミがワ」と「モ」と「ガ」に軽いアクセント(ここでのアクセントとはいわゆる強弱アクセントのことね)、をつけるくらいだ。「もガみガわ」みたいな、おかしな拍はつけない。じゃあ、この「短歌4拍子説」はガセネタか、となるけど、4拍子説を支持する人は、いやいや「潜在的に」拍子感覚が「内在している」んですよ、なんて言い方をする。

 けどねえ、それは、強弁でしょうな。多分、「2音で1拍」という説に辻褄を合わせるために、短歌とはそうした感覚が「潜在的に内在している」のだ、とやってんじゃないかと私には思う。なので、そんなズサンな説を私は支持しない。

 ただし、2句3句は、見事に文句なく2音1拍で分解できる。ここは4拍子説でいけるところだ。すなわち、「さカしラなミの・」「たツまデに・・・」だ。そして、そのためにここの2句3句は、とてもリズムがいい。つまり「調べがいい」のだ。

 次に4句5句をみてみよう。ここも、アクセントの位置がおかしい。

 

 ♪♪♪♪♪♪♪・/♪♪♪♪♪♪♪・/

 ふぶくゆふべと・/なりにけるかも・/

 

 これじゃあ、2音1拍にならない。

 そこで、こうした1句7音をさらに3音4音に分解できる場合は、4拍子説では、次のように拍子をとる。

 

 ♪♪♪・♪♪♪♪/♪♪♪・♪♪♪♪/

 ふぶく・ゆふべと/なりに・けるかも/ である。

 

 これなら、4句なら「ふブく・ゆーべト」と、アクセントをつけて、2音1拍で読めるというわけである。「フブク」と「ユーベト」の間に、8分休符をいれて読めばいいじゃないか、というわけだ、とにかく、2音1拍でいけるんであれば、休符の位置は動かしてもいい、そうやって私たちは短歌を読んでいるのだ、と強弁するのがこの「4拍子」説なのだ。こういったところも、ずいぶんズサンな感じがする。

 けど、私がもし4拍子でこの下句を読むとすれば、そういうアクセントはとらない。  私は、こう読む。

 

 ・♪♪♪♪♪♪♪/・♪♪♪♪♪♪♪/

 ・ふぶくゆふべと/・なりにけるかも/  

 

 1拍目のアタマを休符にして、シンコペーションとして読む。 「・ふぶクゆーべト」「・なりニけルかモ」だ。この、4句5句は、アタマを休符にして、いわゆるタメているから、ウラから入る「フ」や「ナ」は、より強いアクセントになる。シンコペってんだから、そりゃそうだ。

 多分、現代の私たちは、こうしたウラ拍(オフビートね)も感覚的に容易にとれるようになっているから、こうやって一首読み下すことも抵抗ないはずだ。

 さて、「4拍子説」は、このようなウラ拍読みを許容するか。

 これは、許容するしかないでしょうな。

 つまりは、その程度の精度の説なのであって、私に言わせればかなり感覚的であり、理論としはあまりに脆い、と思う。

 だから、2句3句のように、「4拍子説」をとれば、「調べ」が文句なしに良いところもあるのだけど、それですべて説明できるかというと、そんなことは全然ないのである。

 さて、そんな感覚的な「4拍子説」だけど、もう一度、「4拍子説」のキモを再掲してみよう。

 

・1音(あるいは1休符)を2個で、1拍と数える

・各句の拍数はすべて同じ4拍

 と、いうことだった。この2つのうちの上の、「1音(あるいは1休符)を2個で、1拍と数える」ことで、どうやら歌にリズムが生まれ、「調べがいい」ということになるということを、ここまで議論した。ただし、どこでも「1音(あるいは1休符)を2個で、1拍と数える」ことはできないのは、「モガミガワ」で分析した通りである。つまり、すべて包括できる説ではないということだ。例外がある、というか、例外だらけといってもいいと思う。

 では、もうひとつのほうを見てみよう。もうひとつのほう、すなわち「各句の拍数はすべて同じ4拍」である。これによって、短歌は必然的に「等時拍」で読むというルールが導き出されるのであるが、ここのところを、まだ議論していなかったので、次回することにしよう。