短歌の「調べ」について③

 前回の続きである。 
 短歌の「調べ」の良さの謎として、「リズム」について議論している。
 そのなかで「短歌4拍子説」を紹介していた。

 この「4拍子説」の分かりやすい点、というか、ピンとくる点は、現代人のビート感覚を短歌にそのまま当てはめた、という、強引な点にある。
 すなわち、古典和歌から受け継いでいるはずの歌の「調べ」を、西洋音楽のビート感覚で読んでしまおう、というのだから、これは強引なことだ。けど、現代に生きる我々の身体感覚にあるリズムは、明治以前の日本にあったリズム感覚ではなく、西洋音楽のビートのリズム感覚なんだから、他にリズムをつようがないでしょ、という理屈で、これはこれで、その通りといえばそうだ。
 で、その現代人のビート感覚で短歌を読むと、4拍子で読めますよ、というのが「短歌4拍子説」である。
 前回は、その「拍」について議論した。結論は、例外だらけで、「調べ」の良さを包括できる概念ではなかった、といえた。
 今回は、「各句の拍数はすべて同じ4拍」について検討したい。
 これも、分かりやすい話で、1句を1小節として、短歌は4分の4拍子の5小節で読むことができるということである。つまり、メトロノームに合わせるように、現代人は短歌を読んでいるということである。

 いつもの茂吉の例歌も、そうやって読める。

もがみがわ・・・/さかしらなみの・/たつまでに・・・/ふぶく・ゆふべと/なりに・けるかも・/
 
 「/」が小節線で、各句が4分の4拍子で読める。
 こうした拍の打ち方を「等時拍」と呼ぶ。まあ、普通のビート感覚といってよい。
 「4拍子説」の面白いところは、五七五七七なんて言ったって、現代の私たちは四拍子の「等時拍」で読んでいるんだよ、公然と言ったところである。そりゃ、「等時拍」でいけば、ビート感覚もなんとなく生まれるから、リズムもはっきりしてくる、といえる。
 けど、これについては、公然とした反論がすでに提出されている。
 すなわち、「短歌は等時拍では読んでない」という反論だ。
 じゃあ、どうやって読んでいるのかというと、ひとつの説として、緩急をつけて読んでいる、という説がある。
 これは、ごくわかりやすく言うと、初句3句の5音のところはゆっくりと、2句4句結句の7音のところははやく読む、という説。西洋音楽のビート概念はとっぱらう。ただし、5句の句切れはあって、各句の長さは同じ、である。
 もし「モガミガワ」を5秒の時間をかけて読んだら、次の句の「サカシラナミノ」も5秒で読む。そうすると、初句はゆっくりになり、2句ははやくなる。句と句の間には、休みは入れない。というのが基本ルールである。
 けれど、この緩急説のルールは厳密なものではない。すべての句を同じ長さ、といっても、大体でいいよという感じだし、音読して息がなくなったらブレスをしなくちゃならないから、そこには休みも生まれよう、ということだ。
 とにかく、そんな感じで、短歌はビートで読むわけがないじゃない、というわけだ。 そして、この緩急説で、よく取り上げられるのが、この歌。

 

 八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を

 

 いきなり、古事記になってしまったが、これが最も分かりやすい。
 初句「ヤクモタツ」を朗々と読み上げ、2句目「イズモヤエガキ」は畳みかけるように読む。そして、3句はまた朗々と「ツマゴミニ」とやる。下句は、2句目と同じよう速く読む。そうすることで「調べ」が生まれる、というわけである。
 まあ、2句目が3音4音に分けられる時点で畳みかけのリズムが必然的に生まれているので、初句3句の5音との対比で緩急は生まれて、そういう「調べ」にはなるでしょうな。
 けど、これは、「4拍子説」の反論としては有効でしょうが、近代短歌すべてに包括できるかというと、そんなことはないだろうなあ、ということも想像はつくだろう。
 つまり、掲出した「ヤクモタツ~」の歌については、「4拍子説」で読むよりも「緩急説」で読んだほうが、「調べ」よく読めるよ、ということに過ぎない。

 

 以上、ここまでの議論をまとめると、結局のところ、短歌の「調べ」というのは、リズムが関係しているけど、4拍子説や緩急説ではスッキリ解明できるわけではない、ということに落ち着きそうである。
 ただし、現代の私たちは、短歌を「等時拍」の「4拍子」のリズムで、読みがちなのは間違いない。それは、ついつい西洋音楽のビート感覚で短歌を読んでしまう、ということによる。で、そうやって「等時拍」でよめば、おのずとビート感覚が生まれ、そのビートを5句繰り返すことで、リズムとなり、それが短歌の「調べ」にもかかわってんだろう、ということはいえそうである。
 けど、これで「調べ」の謎が解明できたかというと、そんなことはない。

 どうやら、「調べ」の謎については、「拍」で解明するには無理があったようである。
 そこで次回、「拍」に代わる新しい概念を提出して、「調べ」の謎を解明していきたい。