小池光「短歌を考える」を考える③

 前回の小池説の検証である。
 短歌の下句は、どのような並びが「調べ」がいいかという問題であった。
 小池説によれば、3443型が良い、ということである。
 では、例によって、いつもの茂吉の歌をだしてみよう。

 

最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

 

 注目は下句だ。

 「フグク/ユーベト」「ナリニ/ケルカモ」となる。
 残念なことに、下句は、3434型であった。
 小池説によると、この茂吉の歌の下句は、良い「調べ」とはならないようである。けど、この歌、読めばわかるが、下句はとても「調べ」がよい。そうなると、小池説の方がガセネタということになる。
 どういうことか。
 思うに、小池は、瓦版の口上や都都逸を例にだして検討して、肝心の短歌で検討しなかったことに、敗因があったと思う。
 小池の言うように、7音節を繰り返すのであれば、3443の並びが最もリズムがよい。とくに、音節のしまいは3音にして息継ぎをする、なんていう説明はもっともだ。けど、短歌は、下句七七で終わらせなくてはいけない。4句はともかく、結句に息継ぎは必要ない。そう考えると、3443で並べると、終止感がでないのではないか。
 都々逸なら、結句(?)は五音節だから、終止感は生まれる。
 けれど短歌の下句は七七である。これで、終止感を出にはどうしたらいいか。

 歌に終止感を出すのであれば、下句は3443ではなく、3434か、4334ではないだろうか。
 そういうわけで、短歌の「調べ」の謎を解明する仮説として、下句は3434型か4334型が「調べ」がよい、というのを立ててみよう。
 いくつか、歌を出してみよう。

 とりあえず、これまでBlogにあげた作品を再掲しよう。

 

はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき

 

 1首目の啄木の歌は、4句切れで「調べ」を切っているので、これは対象外である。
 2首目の晶子の歌の下句は「コヨヒ/アウヒト」「ミナウツ/クシキ」。3443型である。けど、「調べ」は何も悪くない。ただし、厳密な等時拍でいくなら3443型だが、結句は、「ミナ/ウツクシキ」の25型で読み下すほうが気持ちはよさそうである。
 3首目は、「ヤエガキ/ツクル」「ソノヤエ/ガキヲ」で4343である。けど、この場合も「ソノ/ヤエガキヲ」の25で分けるほうがいいようにも思われる。
 4首目の春日井建の下句は「ブドーノ/ミドリ」「シタタル/バカリ」で4343型。こちらは、脚韻の「リ」の調べに惑わされそうになるが、「調べ」は悪くはない。
 5首目の同じく春日井建のは「オチシ/ニチリンガ」「ノコス/ムラサキ」3534となって4句8音なので対象外である。
 …例歌が少なくて、なんともいえない。
 他の歌もあげてみよう。今、私の手元には小池の2本の連載資料があるから、そこに載っている、下句定型の歌をあげてみよう。
まず、仮説としてあげた、3434型と4334型。

冬山の青岸渡寺の庭に出でて風にかたむく那智の滝みゆ 佐藤佐太郎『形影』
「カゼニ/カタムク」「ナチノ/タキミユ」3434型

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり 正岡子規『子規歌集』
「タタミノ/ウエニ」「トドカ/ザリケリ」4334型。

屈まりて脳の切片を染めながら通草のはなををおもふなりけり 斉藤茂吉『赤光』
アケビノ/ハナヲ」「オモウ/ザリケリ」 4334型

光もて囚人の瞳てらしたりこの囚人を観ざるべからず     斉藤茂吉『赤光』
「コノシュー/ジンヲ」「ミザル/ベカラズ」4334型

さねさし相模の小野にもゆる火の火中に立ちて問ひし君はも 『古事記
「ホナカニ/タチテ」「トイシ/キミワモ」4334型

たゆたひやまざりこころさゐさゐとたださゐさゐとこの夜しぐるる   成瀬有
「タダサイ/サイト」「コノヨ/シグルル」4334型

 

4343型は、ひとつ。
しらぬひ筑紫の綿は身につけていまだは着ねど暖けく見ゆ    『万葉集
「イマダワ/キネド」「アタタケ/クミユ」4343型 

 

 ちょっと例歌にばらつきがあってなんともいえない。

 そこで、いっそのこと「百人一首」の下句を数えることにした。
 ただし、このBlogのテーマは近代短歌の「調べ」についてなので、古典和歌となると完全に手に余るので、参考程度のものとしてほしい。
 けれど、これが結構、興味深い結果となった。
 結句が34で終わるもの、すなわち、下句が、4334、3434、2534、5234の型が100首の半分以上を占めた。なかでも、4334が3割程度。3434が2割程度である。
 一方で、結句が43で終わるもの、すなわち、下句が、4343、3443、5243、2543の型は1割弱であった。
 そのほかは、「百人一首」といえどもご承知の通り字余りもあるので、その他として3割程度とおさえてほしい。
 そういうわけで、「百人一首」の「調べ」で結論を出すのもどうかと思うが、とりあえず、現時点での結論を示しておこう。
 下句に注目して短歌の「調べ」の良さをみるならば、下句の7音節は43よりも34の方が「調べ」がよい。それは、終止感がでるからではないか。また、下句が3434型になると、調子が良すぎてしまい「調べ」が軽くなり、終止感はうまれにくいので、4334型が、もっとも「調べ」がよいのではないか。

 と、いうことにしておきたい。
 本来なら、近代短歌の「調べ」の良い歌を百首ほど選出して検証したいところであるが、とりあえず、下句七七を細分化して検討して、一応の結論を出したということを成果として、次回からは、違う話題でおしゃべりしたいと思う。