連作の「読み」とは①

 今回から短歌の「連作」について、議論してみたい。
 短歌を一首単位ではなく、「連作」として、意識的に創作されたのはいつからだろうか。
 と、考えると、古典和歌にまでさかのぼってしまうのだけど、そこまでさかのぼる余裕はない。なので、『万葉集』に連作があるかどうかとか、勅撰和歌集をアンソロジーではなく連作とするかどうかといった議論は、ここでは、措くことにしよう。ただ、一応、私の立場としては、そもそも短歌は、長歌があっての短歌なのであり、長歌で朗々と詠い上げていたものを短くおさめたところが短歌であるから、作者が、短歌をいくつか並べて何か創作的意図をもたらしているようにしたのは、やはり近代以降ととらえるのがいいのではないかと考えている。
 では、近代短歌で「連作」を意識的に創作活動としてはじめたのは、いつ頃からだろう。
 と、考えると、歌を数首まとめて発表しようとしたとき、そのまとまった歌をどうやって並べるか、と考えたときに、すでに「連作」の意図はあったのだろうと思う。
であるから、近代短歌のはじまりの早い時期から、結社誌や文芸誌に何首が並べて発表したときには、すでに一首単位ではなく、「連作」としての作品効果は、当然考えたのだろうと思う。
 例えば、子規の有名な一首<瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとどかざりけり>は、「墨汁一滴」にある10首連作のはじまりの作品だが、この作品を10首連作のそのはじまりに据えて、続き、残り9首を配置したのは、何らかの子規の意図があろうし、それについて議論することは「連作」の効果についての意義はあると思う。同様に、有名なところで、斎藤茂吉の『赤光』の母の死を詠んだ連作もまた、その歌の配置に作者茂吉の何らかの意図はあろうし、その意図について議論するのは意義あることと思われる。
 こうした、歌の配列については、現代でも同様だ。作者は何らかの意図をもって配列し、「連作」として発表する。すなわち、この作品を頭にもってくると一連全体が見渡せる、とか、ここにこの作品を置くことで、一連のなかで起伏が生まれる、とか、最後にはこの作品を配置することで連作全体の印象が変わってくるだろう、とか、そんな配置の意図はあろう。さきほどの、子規を例にすれば、<瓶にさす~>をはじまりに持ってくることで、子規の病床での心象が読者に伝わりやすい、とか、そんな議論ができるであろう。
 さて、こうした<歌の配置>=「連作」ととらえるのであれば、その並べた意図についての議論は意義があろうが、「連作」の作品そのものは、1首1首の集合体といっていいだろう。
 であるから、「連作」として発表された作品は、「連作」の1首、としてだけではなく、1首独立しての批評が可能なのだ。先の正岡子規の<瓶にさす~>も、10首連作の「連作」ではなく一首取り上げて批評することができる。斎藤茂吉も同様だ。つまりは、一首評での批評に耐えられるということだ。というか、もともと一首として独立しているものを、数首持ち寄って、どうやって並べたら効果的だろうかと、考えて一連を作ったのであるから、当たり前といえばそうだ。
 しかし、そんな一首独立した作品ではなく、はじめから「連作」を前提とした作品群というのも存在する。
そうした「連作」が短歌史の俎上に意識的に載ったのは、いわゆる前衛短歌運動とよばれている一連の運動からであろう。
 篠弘によれば、「昭和三二年に入ってからの前衛歌人の作品は、急速にかつ明確に連作の意識をきわやかにして」きたという。(『現代短歌史Ⅱ』短歌研究社、1988年)
 そして、その理由は、「私」拡大であったというのが、篠の主張だ。
 篠は言う。

 

 日常における小さな「私」をうたうことから、現代の短歌は解放されてくる。前衛短歌の方法を、ここで一口で言うことはできないが、すべてが「私」の拡大に関わっていた。これまでの近代短歌ではうたいきれなかった世界が扱われてくる。現代人の共通認識や観念的な思想のようなものも、作品の内部にもち込まれてくる。定型であるにもかかわらず、短歌においてなんでもうたいうるような期待をもたらすこととなる。
(篠弘 前掲書)

 

 篠は、言葉を選びながら「現代人の共通認識や観念的な思想のようなものも、作品の内部にもち込まれてくる」と言うが、そうしたものを作品で表現しようとすると、それは一首じゃとてもじゃないけど無理、ということになるだろう。
 そういうわけで、当時、前衛歌人と呼ばれた岡井隆塚本邦雄寺山修司の各人は昭和32年に30首以上の「連作」「を発表したのだった。
 こうした「連作」というのは、当然ながら、それまでの「連作」とは性格が違っている。
 この前衛歌人の「連作」は、はじめに「現代人の共通認識や観念的な思想」といった遠大な「主題」があり、それにもとづいて歌を詠んだのだ。1首1首では、遠大な「主題」を詠い切ることができないわけで、読み手からすれば30首読むことで、そうした「主題」が分かるという仕組みになっているのだ。
 さて、こうした前衛短歌の「連作」の手法については、どう評価するか。
 というと、私は、こうした「連作」については、否定的だ。
 そもそも、そうした大きな「主題」を短歌で表現しようとしたこと自体、無理があったのだと思う。そうした、遠大な「主題」は、当時の文学や芸術の時代的な背景、また、短歌に近いところでは前衛現代詩の影響があったのだと思う。そうした文学や芸術に影響されて、短歌文芸でもチャレンジした、ということなのだろうが、今にして思うと、この試みは残念ながら成功に至らなかったのではないか、というのが私の意見だ。 短詩型文芸では、そうした遠大な「主題」を表現するのは難しく、たとえ一定程度の表現ができたとしても、作品を難解なものにした。短詩型文芸は、そうした大きなものを詠う器ではなかった。たとえるなら、一品料理を乗せるために作られた小皿に、フランス料理のフルコースを盛りつけようとして、30枚の小皿に料理を切り刻んで載せたようなものだった。
 また、このような「連作」の試みは、<「私」の拡大>と篠は表現するが、私に言わせれば、それは<「私」の縮小>ではないか。つまり、先に遠大な思想や観念がありき、で、近代短歌から脈々と受け継がれてきた「私性」は、限りなく縮小されているからである。そこで詠われているのは、岡井や塚本の思想や観念というもので、岡井や塚本のパーソナルな人間性を詠っているわけではない。子規のような<私の境遇>を藤の花に託しているのではなければ、茂吉の<母親の死>を、詩情をたたえ情感高らかに詠っているわけではない。
 現在から振り返って、前衛のような短歌「連作」について、短詩型文芸の可能性を拡大しようとした、その心意気については大いに賛同するが、結果としては、そうした遠大な「主題」は短歌ではやるのはやはり無理があったのではないか、というのが、私の主張だ。

 では「連作」の批評は、一首ごとばらばらにして、「形式主義」的批評を一首ごとにすればいいのか、というと、これがまた、そういうものではない、のである。
(次回に続く)