「歌のある生活」14ある状況を歌にする

 今回は、いきなりクイズからはじめましょう。次にあげる二首は、どちらも同じ「ある状況」を歌にしています。さて、どのような状況を詠んだものでしょうか。

電車ならまだあるだろう特製のベーコンエッグ食べに来ないか     新名リオ

痛みあれ 右手のひらが持つ熱を真つ直ぐあなたに伝へるために     門脇篤史

 さあ、わかりましたか?

 正解は「壁ドンして一首」でした。

 ええと、まず「壁ドン」を説明します。昨年あたりから、主に少女マンガの世界で流行ったシチュエーションです。男性が女性を壁際まで追い詰め、壁を背にした女性の脇に手をつき「ドン」と音を発生させ、腕で覆われるように顔が接近すること、…なんていうのが一般的な説明のようです。これが、テレビのバラエティ番組などで取り上げられて、シチュエーションとともに「壁ドン」というコトバ自体も流行しました。

 で、この「壁ドン」ですが、これを短歌にしてしまおうという歌会が、インターネットの世界で催されました。題詠ならぬ、壁ドン詠というわけです。中牧正太の運営する「むちゃぶり短歌」というネット配信形式の投稿テーマの一つでした。

 先にあげた二首は、その「むちゃぶり短歌」の投稿作品からのものです。

 この「壁ドン」短歌、私が面白いなあと思ったのは、「ある状況」で一首、という発想です。これは、題詠とはちがいます。今回でいうと、「壁ドン」というコトバを詠むのではなく、「壁ドン」という状況を歌にするのです。ですので、先の新名リオの歌は、「壁ドン」のあと、男子が女子に向かって言っているセリフを歌にした、ということです。また、門脇篤史の歌は、「壁ドン」直後の男子の心情を歌にした、といえるでしょう。

 この「ある状況」を歌にする、という発想は、わたしたちが作歌するうえで実に有効なことと考えます。よく、短歌の入門書などに、短歌は一瞬を切り取るとよい、なんて書いてあったりしますが、この「壁ドン」は、まさしく一瞬を切り取ることで、歌になるシチュエーションなわけです。

それから、この「壁ドン」短歌が秀逸なのは、サブカル的な要素をてらいなく短歌に持ってきている、ということもあります。ただ、これはネットの世界ならでは、ということがいえるでしょう。こうした遊びを含んだ歌会が気軽にできるのは、ネット短歌の大きな利点でありましょう。

 そんな「壁ドン」短歌。おしまいに、女性の側からの歌を紹介します。「壁ドンして一首」ならぬ「壁ドンされて一首」ということです。こういう現代的なテーマで女性の恋心を歌わせると実に巧いのは、嶋田さくらこです。彼女もネット歌人の一人で、ネット投稿による歌誌「うたつかい」の発行人として活躍しています。また、書肆侃侃房より第一歌集「やさしいぴあの」を刊行している気鋭の本格派歌人でもあります。そんな彼女の「壁ドンされて一首」は、これ。

うつむいて上手くかわしたはずなのにつむじにキスをしてくるなんて 嶋田さくらこ

 ちなみに、去年の流行が「壁ドン」なら、今年の流行は「顎クイ」らしいです。どんな状況なのかは、もうどうでもいいことなので説明しません。もちろん「顎クイ」の短歌も紹介しません。

 次回は、また違うおしゃべりをします。

 

「かぎろひ」2015年9月号所収