小池光「短歌を考える」を考える④

 小池の「リズム」考では、「破調」についてユニークな論述がある。
 今回からは、これを検討することにしよう。

 小池は破調を10に分ける。
(「リズム考」(「短歌人」1979.7~1980.12)または、「短歌を考える」(「短歌研究」2007.4~2008.10)

増音破調として、

A初句増音
B三句増音
C結句増音
D四句増音
E二句増音
の5つ

減音破調として
F初句減音
G結句減音
H二句減音
I四句減音
J三句減音
の5つ、あわせて10個だ。

 

 各句の増音減音によるのだから、10に分けられるのは当たり前なのだが、ユニークなのは、それに順番をつけたことである。小池のよると「より重要と思われる」(小池「リズム考」以下同)順番なのだという。「より重要」というのは、「裏切り感を惹起しやす」い、ということだ。
 さて、この小池のいう重要度は順当なのだろうか。
 そんなことを頭に留めながら、小池に従って、順番に検討していくことにしよう。

 

A初句増音
 初句増音は、破調としては比較的作品が多い部類に入るだろう。
 小池も「初句増音型の破調は中でももっとも多用され、効力を発揮している」といっている。これは、四拍子説によるならば、「モガミガワ・・・」で休符3つあるから、三音分はとりあえず音にできるということにほかならない。であるから、初句は8音まではOKという理屈になろう。
それはともかく、小池によると、初句は6音よりも7音の方が、「穏便な破調感を与える」のだという。それは、「七の方が短歌らしい数字」だからだという。
 この辺りになると、どちらかという論考というよりエッセイに近くになってきて、なんというか思い付きの与太話のようになってきて、それを真面目に検討するのもどうかという気になっていくが、頑張って、最後まで行こう。
 小池があげているのは、以下の歌。(小池「リズム考」「短歌を考える」より)

 

葉摺れ雨音ふたたび生きて何せむと病む声は告ぐ吾もしか思ふ
岡井隆
鳥は鏡をよぎりゆきたりくまもなくわがめざめたるあかつきのなか
山中智恵子
馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人戀はば人あやむるこころ
塚本邦雄

 

 これらは、「もっともポピュラーで扱い易く、いわば「五七五七七」の第一変奏として考えることができ」るという。
 この三首の初句をよりくわしくみると、次のように分析できる。
「ハズレ・/アマオト」「トリハ・/カガミヲ」「ウマヲ・/アラワバ」と、音節の構造としては同じ34型である。そのうえ短歌4拍子説によるならば、4拍に分割が可能である。ただ、急いで付け加えるなら、私に言わせれば短歌4拍子説に従った拍節で読むよりも、強弱2拍子で読んだほうが、「調べ」はよくなる、と言っておきたい。
 それはともかく、普通初句というのは、「モガミガワ・・・」と後ろに3音節分の休符が入り、緩急説でいえば、ゆったりと読み下すものであるが、これが7音節だと、セカセカして、なおかつ休符なくすぐ2句になだれ込むようになる。こうした点も、リズムに注目するといわゆる初句のリズムとは大きく異なる。
 なので、これがなぜ「第一変奏」といえるのか、私にはいまひとつ分からない。
 短歌ではなく別の短詩形、つまり七七五七七の音節で作られた「短歌ではない韻詩」と言ってしまってもいい感じである。
 それでも、小池の例にあげた作品がすべて34型というのは注目しておきたい。
 初句7音で、いちおう短歌として調べが感じられるのは34型、という仮説は成り立つと思われる。
 次に、初句6音をみよう。これは、小池によると「抵抗力が大きい」という。

 

いましがたの雨のなごりは曲線を持つ屋蓋にひかりを引けり
佐藤佐太郎

 

 初句は「イマシガタノ・・」なのだが、これは、4拍子の拍節がとれない。「イマ/シガ/タノ/・・」というリズムには構造上なっていない。なので、小池のいう「抵抗力が大きい」ということになるのだろう。
 けれど、「イマシガタノ」を強弱2拍子説で、「イマシガタ/ノ・・・」で1拍目を5連符、あるいは、「イマシガタノ/・・・・」で1拍目を6連符で読んでしまえば、「調べ」は通る。私にはさほどの抵抗はない。
 しかしながら、この初句6音については、例歌をあと2首ほど欲しいところだ。
すなわち、
33型「トマト/トマト」の3連符型の6音、と222型「ヤマ/カワ/ウミ」の2音が3つ並んだ6音の句である。これを比較検討しないと、初句6音の良し悪しは結論できないと思う。
 いまの私に、それらの型の例歌を探す余裕はないので、とりあえず、初句増音は終わりにしよう。

 

B三句増音

 小池によれば、三句増音は「初句増音に比べこの破調は圧倒的に少ない」という。初句と比較すれば少ないだろうが、圧倒的といえるかどうかは疑問である。それはともかく、その理由として、次のように言う。
「三句は文字通り、ど真中の句である。ここを破調にすることは一番短歌らしさの加速がついてきたところでそれはひっくり返しそして下句で再び短歌らしく立ち直らなければならないことを意味する。(中略)三句の増音が単なるもたつきとなり、しらべが有機的に働かず、即、歌は死んでしまうことになる」という。
 先ほど初句を見たが、初句よりも三句のもたつきは、歌にとっては致命的になるということだ。いわゆる腰句と呼ばれる所以でもあろう。
 さて、そんななかでの成功歌として、小池は次の2首をあげる

 

 白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり
高野公彦
 玻璃窓にあをくかげさす雪の明りけぶるがにたゆくこの夜ふかしも
成瀬有

 

 これを音節で分析すると「クサノ/ソノニ」と「ユキノ/アカリ」と、33型「トマトトマト」型の3連符2個である。
 小池は、この2首に対する音型の言及はないが、私が補説するならば、3句増音の破調は、3連符2個の6音節しかうまくいかないということではないか。別の言い方をすると、3句目は3連符型をやると、短歌の「調べ」としては成立する、という効果がある、ということだ。
 ちなみに、この三句を四拍子説で分けると、「クサ/ノ・/ソノ/ニ・」「ユキ/ノ・/アカ/リ・」となり、これでは、調べが壊れるので、四拍子説をとると見事に破綻する歌となる。

もう一首、小池が例にだした作品をみてみよう。

 

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり 

正岡子規『子規歌集』

 

 この歌の三句6音節をどうやって分析しようか。
 強弱2拍説なら「ミジカケレ/バ・・・」あるいは「ミジカケレバ/・・・・」なるし、四拍子説なら「ミジ/カケ/レバ/・・」となる。これは、どちらで区切っても、「調べ」は悪いと思う。
 しかし、小池は、次のように絶賛する。

 

 このあまりに有名な一首の妙味は「みじかければ」の字余りが支えているといって過言ではないであろう。ここが6音になることで加速し早口になり、畳み込むような呼吸が生まれ、聞く者(読む者)をうむ、うむ、それでどうしたのかと引き込む力が生まれる。下句の「答え」との落差は数倍にも大なるものとなった。第三句が通常の5音だったらこれほど語り継がれる歌にはならなかった。
(小池「リズム考」)

 

 この言説を私は支持しない。正岡子規のこの歌は「調べ」が悪いと思う。
 ただ、そんなことを言ったところで、これは「私はこう思う」、という自分の意見、エッセイ、与太話の類である。
 単に、小池は絶賛するし、筆者はそうは思わない、というたいした根拠のない感覚レベルの話に過ぎないと思うがどうか。

 今回は、ここまでにしよう。