<抒情>のしくみ①

 

 去年の年末から、毎週更新してきた本Blogであるが、短歌文芸のわりと大きなテーマについてあれこれおしゃべりしてきたつもりである。大きなテーマというのは、<韻律>、<リアリティ>、<私性>といったテーマである。

 こうしたテーマについて、私は、一首単位でネチネチと、もっぱら形式主義的手法を用いて議論した。そうした議論の多くは、仮説の域にすぎないものが多かったけど、うまく分析ができたものもあったかと思う。私なりに、これまでの短歌の世界では俎上に乗っていない論点も提出できたし、その中からは、いくつかの収穫もあったと思っている。

 ところで、そんな短歌のテーマのなかで、もう一つ、まだ議論していない大きな大きなテーマがある。

 それが<抒情>だ。

 短歌の<抒情>とは何か。

 今回から年末にかけては、短歌の<抒情>のメカニズムを、主に現代短歌の分析を通して解き明かしてみたいと思う。

 

 私が<抒情>を感じる現代短歌とは、例えば、この作品だ。

 

 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで

 仙波龍英『わたしは可愛い三月兎

 

 私が、この作品に出会ったのは、2010年だから、短歌をはじめて数年といったところか。はじめて読んだときは、かっこいい歌だなあ、という印象だったと思う。

 まず、東京を詠っているのがかっこいい。次に、「夕照」や「展く」といった私の知らなかった言葉が使われている。「展く」はなんて読むのかも分からなかったけど、なんとなく意味はわかった。それから、「しづかに」の旧かな。それに、渋谷を「この谷」と呼ぶ表現。これも、今にして思うと字数あわせのような気もするが、当時はそんなこと分かるはずもない。PARCOのアルファベット表記。墓碑となすなんていう表現。とにかく、いろんなところが、かっこいい、と思った。

 

 ところで、この作品について、藤原龍一郎は次のような解説文をよせている。

 

 渋谷にPARCOpart3が開店したのは、一九八一年九月のことだった。すでに、井の頭通りから三基のパルコへ向かう通りは、スペイン坂と名付けられていた。道玄坂宮益坂といった、明治時代以前からの坂の名前とは異なり、商業資本主義が流行をつくりだした、宣伝コピーとしての名付けであった。文字通り渋谷は谷であり、谷には四方八方に坂がある。その坂上にそびえたつ三基のPARCOは「消費こそ美徳」という時代の流行の先端のシンボルとして、この谷に君臨していた。後にバブルと呼ばれるその経済的繁栄に浮かれた「おいしい生活」は、永遠に続くと誰もが思っていたはずだ。(中略)

 その空前の繁栄のさなかで、仙波龍英は、煌めき聳え立つ三基のPARCOを、墓碑として認識していた。「真の詩人の魂は、過去を予言し、未来を思い出す。」とは、孤高の俳人高柳重信の言葉である。仙波龍英のこの歌は、まさにその「真の詩人の魂」の所産であり、二十世紀末から二十一世紀はじめにかけての、歌枕「渋谷」の運命を予言し、思い出していたのであろう。

藤原龍一郎「現代の歌枕27」「短歌研究」2010年9月号)

 

 解説文を解説するのもおかしな話だが、この文章は「現代の歌枕」という、「短歌研究」誌のリレーエッセイのひとつで、この回は藤原が担当となって、「渋谷」を詠んだ歌について仙波の作品を取り上げたのだった。だから、話題はおのずと「渋谷」についての内容となる。

 時代は、バブル前夜。そして、パルコの3つのビルは、その日本が狂乱へと向かっている最中の<「消費こそ美徳」という時代の流行の先端のシンボル>であった、ということが重要だ。その経済的繁栄の象徴であるパルコを「墓碑」と見立てたということが、仙波の歌人としての才能の余りあるところ、といえよう。すなわち、21世紀に生きる我々からすれば、バブルは崩壊し、その後、我が国は失われた20年に陥ったことを知っている。しかし、仙波は、それをバブル前夜にすでに予言していた、というわけだ。

 私は、この藤原の解説文を読んで、この歌はただかっこいいだけではない、ということがよーく分かったのだった。

 

 と、作品の解説としては、こんな具合でいいだろう。たっぷりと鑑賞できたと思う。

 では、次に、本題であるこの作品の<抒情>性について議論していきたい。

 先に言ったように、私は、この歌には<抒情>を感じる。

 じゃあ、その<抒情>は、どこにあるのかを探ってみよう。

 夕陽が渋谷に照っている。谷に陽がふりそそぐのだから、<展く>という表現も絶妙だ。読者のイメージは、谷の下から、つまりは、地上から夕陽を見上げる感じだろうか。あるいは、上空から見下ろしている視点でもいいだろう。とにかく、その夕陽が、パルコの3つのビルを照らしている。ビルを<基>と数えるのも絶妙だ。夕陽に照らされている3つのビルを主体は墓碑に喩えたわけである。その喩の意味するところは、先の藤原の解説文の通り<「渋谷」の運命を予言し、思い出していた>ということに尽きよう。

 そうやって、歌の内容をイメージすると、どうだろう。どうにも、じわじわと<抒情>してくるではないか。

 …と、ここで、終わらすと、この歌は<抒情>する歌であることは分かったが、その<抒情>のメカニズムは分からない。なぜ、そうしたイメージを持つと、私たちは<抒情>することができるのか。ここを探るのが、本Blogの目的だ。

 

 今回は、その<抒情>の秘密を「言葉」に見つけたいと思う。

 あまり、複雑な議論になってもつまんないので、単純にこの世には、人が<抒情>する「言葉」というのが存在するのだ、ということで話を進めよう。

 すなわち、ある「言葉」を歌に使うと、あら不思議、たちどころに、誰もがみんな<抒情>する、…と、まではいかないだろうが、とにかく歌に詠むことで<抒情>しやすい「言葉」が存在するのではないか、というわけだ。

 では、この作品では、それは一体、どの「言葉」だろう。

 と、いうと、筆頭としては、<夕照>だろう。

 「夕陽が照っている様」といったような字義になるだろうが、これが私たちの<抒情>をかきたてるのだ。

 これを、次のように改作すると、ガラリと歌のイメージが変わることが分かると思う。

 

 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで     原作

 暁はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで     改作

 

 夕陽を朝日にしてみた。このように変えると、下句の墓碑の喩と整合しなくなって、読み手のイメージはつながらなくなる。やはり、この歌は夕陽でないとダメだ。なんなら、下句を変えちゃえばいいのではないか、という意見もあるかもしれないが、それもダメだ。この歌は、パルコの3つのビルが墓碑に見立てているのが、主題だから、ここを変えると別の歌になってしまう。<抒情>の議論と関係がなくなってしまう。

 そういうわけで、「言葉」の比較でいえば、「暁」よりも「夕照」のほうが、どうも<抒情>しやすい感じがしないだろうか。

 けど、次のような意見もあるかもしれない。それは、「夕照」は、この歌に歌われているから、<抒情>するのだと。すなわち、「夕照」と「墓碑」がこの歌では整合的に組み合わさっているから、<抒情>するのであり、「夕照」それ自体に<抒情>しているわけではない、と。

 それは、そうかもしれないが、例えば、映画(原作は漫画)のタイトルとして、

三丁目の夕日」、が、「四丁目の夕日」、でも、そんなにイメージは変わらないが、

三丁目の夕日」、が、「三丁目の朝日」、だったら、ガラリとイメージは変わってしまうだろう。

 やっぱり、<夕日>には<朝日>とは違って、私たちのイメージとして、何か、<抒情>するものがあるのである。この映画の例でいえば、夕日には「ノスタルジー」といったようなイメージが「夕日」という「言葉」に貼り付いているんだろう。

 では、仙波の<夕照>はどうだろう。

 そこには、「沈みゆくもののあわれ」とか「ものかなしさ」とか「没落」とか「感傷」とか、とにかく、そんなイメージが貼り付いていよう。こうしたイメージは、<暁>とは対極となるだろう。暁はこれから日が昇るわけだから、そんな「没落」のイメージは持ちようがないだろう。

 で、そうした<夕照>という「言葉」に貼り付いたイメージを利用して、作品の下句の「パルコのビルは墓碑のようだ」というこの作品の主題とうまく整合させている、というわけだ。

 詩歌には<抒情>しやすい「言葉」がある、という論点が理解できたであろうか。

 さて、今回提出した<夕照>という「言葉」。

 これは、「夕陽が照っている様」といったような「字義」で、それ以上でも以下でもない。つまり、<夕照>には、「ものかなしさ」や「没落」といった意味は「字義」にはない。

 同様に、<夕日>に「ノスタルジー」といった意味は、「字義」上は、これっぽっちも存在していなくて、それは、あくまでも、「夕日」という文字をみて、読み手が勝手にイメージしているだけである。

 しかし、私たちは「夕日」という文字を見ることで、何か懐かしさや切なさや感傷的といった、全部合わせて「ノスタルジー」といったものを、共感的にありありとイメージすることができる。

 それはなぜか。

 と、いえば、「夕日」という「言葉」に、そうしたイメージが貼り付いているからだ。

 こうした、ある「言葉」に貼り付いているイメージを「コノテーション」という。

 というわけで、<抒情>というのは、この「コノテーション」によっているのだ、というのが、ここから先の議論になる。

 「コノテーション」が<抒情>の秘密を解くカギなのだ。