<抒情>のしくみ⑤

 これまで議論してきた<コノテーション>の修辞法に関わって、短歌特有の<オノマトペ>の用法について、少しお喋りをしていきたい。

 <オノマトペ>というのは、「雨がざあざあ降る」、とか、「太陽がギラギラ輝く」といった、いわゆる擬音語・擬態語の総称で、そもそもは副詞として、主に動詞を修飾していた。「雨がざあざあ降る」なら雨の降る様を修飾し、「太陽がギラギラ輝く」なら、太陽の輝く様を修飾している。一方で、数は少ないながらも、形容詞(形容動詞)や動詞としての<オノマトペ>がある。「太陽がギラギラしている」とすれば動詞だし、「ギラギラな太陽」となると、太陽を修飾するので、形容詞(形容動詞)となる。

 そんな<オノマトペ>だが、短歌では、<オノマトペ>は動詞や名詞を修飾するためだけではなく、新しい修辞法としての役割を持ってきているのではないか、というのが今回の話題である。新しい修辞法というのが、すなわち<コノテーション>としての用法だ。

 <コノテーション>というのは何だったかといえば、言葉に貼り付いているイメージだ。「夕陽」なら、寂寥感とか懐かしさとか、そんな字義以外のイメージが<コノテーション>とよばれるものだ。

 これを<オノマトペ>にあてはめるとどうなるか。

 例えば、「ざあざあ降る」の「ざあざあ」は、もちろん雨が激しく降る音からくる<オノマトペ>だが、もう、いまでは「ざあざあ降る」だけで、誰もが、雨をイメージするだろう。もしかしたら「ざあざあ」だけでも、雨のイメージを持たせられるのではないか。

 同じく、「どきどき」はどうだろう。もう、これだけで、胸や心臓の高鳴りをイメージできないか。「どきどき」という言葉には、心臓の高鳴り、つまり、それは動悸が激しいといったような実際的な心音の字義的な意味だけではなく、「緊張している様」とか「不安な様」とかそうしたイメージが貼り付いている、といえるのではないか。

 これが私のいう<オノマトペ>の新しい修辞法、すなわち<コノテーション>としての用法だ。

 実際に作品をみていこう。

 穂村弘『水中翼船炎上中』から3首あげたい。

 

長靴をなくしてしまった猫ばかりきらっきらっと夜の隙間に

さよならと云ったときにはもう誰もいないみたいでひらひらと振る

冷蔵庫の麦茶を出してからからと砂糖溶かしていた夏の朝

 

 1首目。「きらっきらっ」が<オノマトペ>。これだけで、何かが、点滅しているイメージを読者は持つことができる。ここでは、3句目に「猫」とあるので、猫の目が、夜のネオンに反射して「きらっきらっ」と点滅している、ということが分かる。

 2首目。「ひらひら」が<オノマトペ>。何か平たいものが、風になびいていたりしているようなイメージを持つことができよう。「さよなら」と言って、ひらひらと振るのものといえば、「手」ということになる。つまり、「ひらひら」で、手を振っていることが分かる。

 3首目。「からから」が<オノマトペ>。「からから」だけでは、ちょっとイメージが拡散していようか。喉の乾いた様も「からから」だし、朗らかに笑っている様も「からから」だ。ここでは、どうやら、麦茶に砂糖を入れて、スプーンでかき混ぜている、そのスプーンがコップにあたる音が「からから」と鳴っている、と分かる。つまり、「からから」で、そのようなイメージを読者に想起させようとしているのである。

 さて、こうした<オノマトペ>の用法を、私は<コノテーション>としてとらえているが、これを<省略法>ととらえることもできよう。すなわち、「きらっきらっ」なら、「猫の目がきらっきらっと光っている」様を、「猫の目が光っている」という部分を省略して、「きらっきらっ」ですべて表しているという解釈だ。

 なので、ここの表現は、<コノテーション>でもあり<省略法>でもある、ということができる。要はカテゴライズの問題ということだ。喩えていえば、「バナナ」は「南国の果物」でもあり「黄色い食べ物」でもある、ということである。ついでにいえば、<コノテーション>という修辞法は、私は広義の比喩表現ととらえているので、こちらも喩えていえば、「バナナ」は「果物」のカテゴリーでは「南国の果物」に分類される、ということだ。

 

 それはともかく、<オノマトペ>の<コノテーション>用法が分かったところで、その応用をみていこう。

 引き続き、穂村弘『水中翼船炎上中』から。

 

夜の低い位置にぽたぽたぽたぽたとわかものたちが落ちている町

みつあみを習った窓の向こうには星がひゅんひゅん降っていたこと

夜になると熱が上がるとしゅるしゅると囁きあっている大人たち

 

 1首目。「ぽたぽたぽた」。この<オノマトペ>からは、水滴が落ちている様をイメージできるであろう。しかしながら、ここで落ちているのは「わかものたち」である。これは、コンビニの駐車場や繁華街の路上に「わかものたち」が座り込んでいる様を、まるで、空から雨の水滴がおたぽたと落ちてきているようだ、と喩えているのだ。そうした水滴が空から落ちている様を「ぽたぽたぽた」という<オノマトペ>で表現し、それを、比喩として扱っているという複雑な構成となっている。<コノテーション>の応用というにふさわしいといえよう。

 2首目。「ひゅんひゅん」。この<オノマトペ>からは、ミサイルが飛んでいるようなイメージだろうか。それを流れ星が流れている比喩として扱っている。そうすることで、詩的効果があらわれるということである。「みつあみを習った」少女の心象が、まるで、流れ星がミサイルみたく降っているようだ、という感じか。

 3首目。「しゅるしゅる」。この<オノマトペ>のイメージは、拡散しているかもしれない。私は、ストーブに載せているやかんから蒸気が吹いている様をイメージするが、読み手によっていろんなイメージをもつことのできる<オノマトペ>だと思う。ここは、大人の囁きが「ひそひそ」ではなく「しゅるしゅる」としたことで、詩的効果を狙っていると分析できよう。熱が上がって寝ているときには、大人の囁き声が、まるでやかんから蒸気が吹いているようだ、ということだ。けれど、「しゅるしゅる」のとらえかたで、違う読みや鑑賞になることだろう。

  穂村弘の作品だけではなく、ほかの作品も見てみよう。

 

足もとに芽吹く間際の種ありてどくどくどくと日が暮れていく

                    勝野かおり『Br 臭素

葉の匂いざあと浴びつつさきほどの「君って」の続き気になっている

                      江戸雪『百合オイル』

あをぞらがぞろぞろ身体に入り来てそら見ろ家中あをぞらだらけ

                        河野裕子『母系』

 

 1首目。「どくどくどく」。心臓の鼓動とか、血管に血が流れているイメージか。日が暮れるといえば「ぎんぎんぎらぎら夕陽が沈む」が有名な<オノマトペ>表現だけど、ここでは、夕陽の赤のイメージを血流へと移行させたのであろう。まるで、心臓の鼓動のように日が暮れていく、という比喩表現ということになるのだろう。

 2首目。「ざあと」。雨やシャワーを浴びているイメージか。葉の匂いを吸い込んだ様を、雨やシャワーを浴びたイメージに喩えたのである。

 3首目。「ぞろぞろ」。人の群れとか、動物や虫の群れのイメージか。あおぞらが体に入ってくるという比喩に、それを人の群れのようだとさらに比喩をかぶせている、と読める。

 

 さて、<オノマトペ>用法の最後に、<オノマトペ>の言葉に貼り付いているイメージを利用して、そのイメージを他の言葉に重ねている用法をみてみよう。

 やはり、穂村弘『水中翼船炎上中』をひく。

 

きらきらと自己紹介の女子たちが誕生石に不満を述べる

陽炎の運動場をゆらゆらと薬缶に近づいてゆく誰か

警官におはぎを食べさせようとした母よつやつやクワガタの夜

 

 1首目。「きらきら」。これは、「自己紹介の女子たち」にかかっている。すなわち、自己紹介している女子たちがきらきらしている、というわけだ。けれど、下句をみれば、「誕生石」のイメージにも「きらきら」が重ねられているのが分かるはずだ。「きらきら」それ自体を「光り輝いている様」ととらえて、「誕生石」と<縁語>と括ることも可能かもしれない。いずれにせよ、「きらきら」が「自己紹介の女子たち」を形容しているだけではなく、別の言葉ともかかわっている、ということはいえるであろう。

 2首目。「ゆらゆら」。これは、「ゆらゆらと近づく」という、動詞を修飾する副詞の扱いであるが、同時に、陽炎がゆらゆらしている様としてのイメージを重ねている。

 3首目。「つやつや」。これは、クワガタの表面がつやつやしている、ということに加えて、「おはぎ」がつやつやしていると読めなくもない。あるいは、母が警官におはぎを食べさせようとした、その思い出がつやつやの記憶となっている、と読めなくもない。いずれにせよ、「つやつや」が、クワガタだけではなく、ほかの言葉のイメージにも重なるように読める構成になっていることがわかる。

 このような<オノマトペ>の用法として、いちばん有名な作品は北原白秋のこの作品じゃあないかと思う。

 

君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

                         北原白秋『桐の花』

 

 「さくさく」。これは、敷石を踏む音の<オノマトペ>だが、「林檎」をさくさくと食べるイメージにも重なる。こうした用法は、短詩型ならではのイメージの重層であり、<オノマトペ>を<縁語>的にとらえることで、作品に統一感を与える役割を担っているということもできよう。