わからない歌⑧

 前回から検討しているのは、この作品だ。

 

 撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ

                         斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』

 この歌は、死者を「わたし」にみたてて斉藤が作品化したのである。「作中主体=作者」とするならば、いわば斉藤が、「イタコ」の立場で死者の声を短歌として作品化したのだ。    

 けど、そんなイタコ短歌なんて認められるだろうか。もし、認められないというのなら、「作中主体=死者」となる。けど、こちらの方が、筆者には認めがたい。

 さて、連作「証言、わたし」には、ほかにも「わたし」が誰なのか、いまひとつ、はっきりしない歌がある。

 

 これわたしの家内の実家の船なんです わたしの家内の、妻の実家の

 玄関です ここに鍵があって開けるんです 階段があって8畳、5畳

 あそこに相当遺体があるのではないかとわたしは思っています 瓦礫(ガサモク)

 一読、何かのルポのような感じである。もちろん、作者はそうしたイメージで作品化しているといえよう。

 一首目に登場する「わたし」は作者ではないことはわかるだろう。誰だかはわからないが、作者に「証言」しているようである。そして、三首並べてみるとどうやら同じ人物の「証言」と仮定できそうだ。

 では、ここで「証言」している「わたし」は、死者だろうか。そう読めなくもないが、そうすると、死者が作者に話しかけているという、かなり幻想的な歌となり、この解釈は厳しいだろう。

 そうではなく、浪江町の被災者ととらえた方が自然であろう。つまり、作者が被災地を取材したときに案内してもらった人の「証言」という状況設定であれば、わりとしっくりくると思う。

 浪江町の被災者が、作者に、陸に乗り上げた船について「証言」したり、波に呑み込まれて更地となってしまって三和土がかすかにわかるかのような自宅跡で「証言」したり、まだ片付けられていないガサモクを案内しながら「証言」したり、というのが、この三首なのではないか。そうであれば、この三首は「わたし=被災者」ということになろう。

 では、なぜ斉藤は、そういう状況設定の作品を詠んだのだろう。と考えると、それは、短歌の「私性」についての問題提起だったのではないか、というのが筆者の立場だ。

 東日本大震災という未曽有の出来事をどのようにして作品にするか。特に震災の当事者ではない者が、震災とどう向き合い詠うか、ということを斉藤は真摯に考えたのだと思う。

 その考えた結果が、フィクションとして連作にするということであり(ただし、取り上げた「証言」はテレビ番組のインタビュー記録を引用しており、厳密にいうとフィクションではない。しかし、その点について、斉藤は一切、触れていない。そうした斉藤の態度を筆者は大きな問題と考えるが、その点は措く)、作中主体を死者にしたり、被災者にしたりと、作品の中の「わたし」を当事者として設定する、ということであった。

 すなわち、読者からみて、明らかに「作中主体=作者」とはいえない「わたし」を設定することで、社会詠の当事者性について、作品として問題提起したのではないか、というのが筆者の見解である。

(「かぎろひ」2020年9月号 所収)