短歌の「写生」を考える③

 前回からの続きである。

 「写生」の話であった。

 ただ、現代短歌の「写生」を論じるには、どうしても<私性>の整理をしないと、議論が混乱する。なので、遠回りになるが、今回はまず<私性>についての整理からはじめる。

 近代短歌では、作品の主人公は<作者>とするのが、とりあえず、作品を読むときの「作法」であった。

 

 瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり

                         正岡子規『竹乃里歌』

 

 この作品でいえば、病床で見た藤の花の様子を子規の「視点」で「写生」した、ということがいえる。であるから、見ているのは、子規すなわち<作者>である。

 では、次の作品はどうか。

 

 たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず

                         石川啄木『一握の砂』

 

 作品の主人公を<作者>とするなら、母を背負っているのは啄木ということになる。しかし、後の研究によって、実際に啄木は母を背負ったという事実はないことになっている。つまり、この作品は啄木の創作、ということだ。

 けれど、近代短歌では、そうしたウソなのかホントなのかは詮索しないというのが作品を読むときのマナーなのだ。そして、とにかく、作品に出てくる<私>は<作者>として読む、というのが、読みの「作法」となっている。

 では、なぜ、そうした「作法」が短歌の世界で生まれているのか、というと、その要因のひとつとして、これまで議論してきた「写生」の理念をあげることができよう。

 前回までの、「主観」なり「感動」なりの議論を思い出してほしい。「感動」というのは、心の動きであった。この心の動きというのは、<私>すなわち、歌を詠む<私=作者>にほかならない。「主観」というのは、「感動」を短歌にするつなぎの作用のことであった。そうした「主観」は当然ながら、<作者>のそれである。つまり、こうした「写生」に関する「感動」だの「主観」だのといったのは、いったい誰の「感動」や「主観」なのか。といえば、当然ながら<作者>であり、そんなことは、確認するまでもないことだった。

 <私>の「感動」を<私>の「主観」で「写生」する、これが短歌である。という、大前提が近代短歌なのだ。

 だから、啄木が母親をホントに背負ったかどうかなんてのは詮索すること自体、近代短歌の世界ではナンセンスであって、三歩あゆめなかったという啄木の心情に寄り添い共感し、あるいは、啄木特有の韻律や修辞を鑑賞する、というのが近代短歌を読むときの作法なのだ。

 なので、近代短歌では、<私性>を議論するときには、<主体>だの<作中主体>なんていう用語は必要とされていない、といっていいだろう。と、いうか、議論も何も、<私>といえば<作者>である、というのが近代短歌の当然の大前提なんだから、そもそも議論の余地はないのだ。<私=作者>一択だ。

 

 ああ和子悪かつたなあとこゑに出て部屋の真ん中にわが立ち尽くす

                          小池光『思川の岸辺』

 

 2015年出版の歌集より掲出。

 作品にある和子氏は、小池光の妻。2010年に亡くなられている。この作品は、完全に近代短歌の読みで味わうことができる。というか、そうじゃない読みを排しているかのようだ。作者である小池は「ああ和子わるかつたなあ」と声に出して、部屋の真ん中に立ち尽くしている、その状況をたんと鑑賞せよ、ということだ。なので、読者は作者に寄り添いながら、妻を亡くした作者の想いに共感するわけだ。そのうえで、一首評をするとすれば、例えば、「こゑに出て」の表現と、「こゑを出して」とか「こゑにして」とかとの違い、とか、4句目の字余りのモタつきはどうの、とか、結句の棒立ち感はまさしく作者の立ち尽くしている感じにぴったりだ、とか、という感じになるだろう。間違っても、和子だと、初句二句がA音ばかりで韻律がウルサイから、<主体>の妻の名前は千恵子にしたほうがいい、といった批評には絶対にならない。

 であるから、こうした作品は、あくまでも近代短歌の読みの作法に即して読むものであり、それ以外の読み方をするのは読みの「作法」に反するということがいえる。

 ちなみに、前にも書いたけど、子規の「瓶にさす~」の作品は、内容としてはとてもつまらないんだけど、「韻文」にすることで実に何ともいえない魅力が生まれる、というようなことはいえるだろう。

 他方、この小池の作品も同様で、内容は、あまりにベタで、もしドラマや映画といった映像作品や、あるいは小説なんかにするにしても、今の時代ではチープすぎて、とてもじゃないが作品にする前段階で、とっくにボツにする内容だ。けど、そんな内容も近代短歌のホントかウソかは詮索しないという作法によって、というか、これはホントのことだと読者が勝手に確信することで、結果、リアリティが生まれて、グッとくる作品になるのだ。そのうえ、子規の作品同様、「韻文」の作用によって、ますますグッとくるのである。これが「韻文」の魅力だ。ただし、そうした一連の短歌の作法や「韻文」の作用が、果たして短歌文芸にとって、他の小説文芸や映像芸術と比べて、優れているのか劣っているのかについては、大いに議論の余地があろうかと思う。

 それはともかく、話を短歌の読みの「作法」に戻そう。

 そんな近代短歌の読みでは、到底解釈することのできない作品が提出されたのは、いわゆる前衛短歌の時代、1950年代ということになるだろう。

 

 革命歌作詞家に凭れかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

                            塚本邦雄『水葬物語』

 銃身のやうな女に夜の明けるまで液状の火薬填めゐき       『同』

 「火の鳥」 終る頃に入り来て北狄のごとし雪まみれの青年は    『日本人靈歌』

 

 前衛短歌の旗手、塚本の作品から3首掲出。

 一首目。液化していくピアノを見ているのは<作者>ではない。塚本は、液化していくピアノなんて見たこともなければ、革命家作詞家に会ったこともないだろう。では、この作品はどうやって読み解けばいいのか。

 二首目。「夜の明けるまで液状の火薬填めゐき」は情事の隠喩ということは読み解けよう。では、塚本が銃身のような女と情事にふけっていたのか、というと、そんな読みはありえないことが分かろう。近代短歌の「読み」とは違う「読み」じゃないと解釈できないことが分かるだろう。

 三首目。「火の鳥」は手塚治虫の漫画ではなく、ストラビンスキーのバレエ作品。このバレエの終わるころに北狄のような雪まみれの青年が、会場に入ってきた、というのである。一体、この作品はなんなのか。

 

 これら塚本の作品は<私=作者>の近代短歌の読みで鑑賞することは不可能だ。

 作品の中の<私>を<作者>以外の呼称で呼ばないと、どうにも読むことができない。そこで、こうした近代短歌とは違う作品の<私>のことを1980年代半ばから、<作中主体>とか<主体>といった呼称でよぶことにしたのだった。

 ちなみに、前衛短歌が提出された1950年代からの数十年は、一体なんて呼んでいたかというと、これは分からない。多分、短歌作品をテクストとして分析していく批評自体、当時の短歌の世界には導入されていなかったんだろうと思う。だから、現在のような<私性>の議論にはならなかったのだろう。短歌の世界に限ったことではないが、作品が先にあって、批評が後に追いつくのだから、そういうものなのだろう。

 それはともかく、塚本の作品だ。

 この作品、「写生」の用語でいえば、作者の「感動」はないが、作者の「主観」はある。

 つまり、「韻文」への強烈な「主観」である。こうした作品はまさしく「韻文」でしか描写することはできない。3首目が顕著だが、散文に直すと、まったく意味をなさない一文になる。藤の花が畳に届かないでいる、とか、母親を背負ったらあまりに軽くて三歩も歩けなかった、なんてのは、「散文」でも意味は通じる。けど、火の鳥の終わり頃に北狄のような雪まみれの青年が会場に入ってきた、なんてのは、「散文」じゃあさっぱり意味が分からない。

 けど、「韻文」にすることによって、詩歌としての魅力がグーンと生まれる。つまり、「韻文」でしか表現できないものを、塚本は短歌作品として提出した、ということがいえるのだ。

 これが、「韻文」の詩歌つまりは韻詩としての魅力であり、「写生」でいうところの「主観」の作用ということがいえよう。

 

 そう考えると、前衛短歌は強烈な作者の「主観」による作品ということがいえ、もしかすると近代短歌よりもずっと「写生」的といえるかもしれない。韻詩文芸というカテゴリーでいえば、近代短歌を超越した、といっていいかもしれない。

 ただ、短歌史の文脈でとらえるなら、近代短歌を大きな川とするなら、前衛短歌は支流にすらならなかった、と、筆者は考えている。何か、まったく別もの、沼とか湖とかのイメージだ。「淡水」というカテゴリーに川や沼や湖が分類されるのと同様に、同じ「韻文」というカテゴリーだけど、近代短歌と前衛短歌は別ものといった感じだ。

 前衛短歌というのは、短歌の世界の一大ムーブメントであり、それは、戦後のある一時に短歌の世界に席巻した第二芸術論への見事なカウンターだった、という主張に異論はないと思う。しかし、ただ、それだけだった、というのが前衛短歌の筆者の見立てだ。けど、それを議論すると「写生」のテーマからはずれてしまうので、とりあえず、言いっぱなしになってしまうが、今回はここまでにしたい。

 結局、現代短歌の「写生」については、次回に持ち越しだ。