短歌時評2022.5

三つの短歌賞について

 

 去年(二〇二一年)発表された短歌賞から話題を三つ。

 一つ目は、「短歌研究新人賞」。受賞作は、塚田千束「窓も天命」三十首。塚田は「まひる野」「ヘペレの会」所属、旭川市在住の三十四歳の医師(受賞時)。作品の主人公は医療従事者。その視線でコロナ禍の状況をスケッチしつつ、乾いた抒情による〈私性〉の発露が清冽な連作だ。現代口語短歌の様式化されている部分をうまく咀嚼し、自分のものにしている。

  先生と呼ばれるたびにさび付いた胸に一枚白衣を羽織る

  目を狙う ボールペンでも鍵でもよい夜道を歩きながら反芻

 二つ目は、「角川短歌賞」。こちらは四十六年ぶりの該当作なし。選考座談会(角川「短歌」2021.11)を読むと、四人の委員が、受賞作を一つにまとめきれなかったことがわかる。この賞に限ったことではないが、受賞作を決めるのに、ある委員では○な作品が、別の委員では×になっている、というのはよくあること。そのうえで、委員間で意見をすり合わせて、受賞作を決めるのだが、今回はそれがうまくいかず、結果、該当作なし、となった。これは、文芸に限らず、広く芸術一般に関する「いい作品」の何をもって「いい」とするかの基準が明確でないことゆえの結果といえた。各選考委員のいう「いい作品」の基準はそれぞれなんだから、あとは自分が「いい作品」だと主張する、その明確な基準を、言葉を尽くして他の委員に語って説得するしかない。今回は、各委員が、他の委員を説得できるほどの基準を明確に語れなかったことと、そもそも、言葉を尽くすほどの「いい作品」が無かった、ということなんだろう。

 短歌賞というのは、選考委員が違えば、選ばれる作品も違ってくる。およそ文芸や芸術とはそういうものだ。そんなものに、何か賞を与えて権威付けをしようとするのが「○○賞」というものだ、ということを今回のこの一件は改めて示していよう。

 三つ目は、「北海道新聞短歌賞」。こちらは、北海道在住者か三年以上在住した者の歌集を選考対象とする。なので、新人賞ではない。つまり実績のあるベテラン歌人の歌集も新人歌人の第一歌集も横一線で選ばれる異色の短歌賞だ。

 普通に考えれば、実績のある歌人の作品の方が、新人のそれより、「いい作品」のはずなのだが、昨年の受賞作は、北山あさひ第一歌集『崖にて』。ただ、北山は、この歌集で、「日本歌人クラブ新人賞」や新人を対象とした「現代歌人協会賞」を受賞しているので、第一歌集としてのある程度の基準はクリアしていよう。しかし、筆者は、この歌集より、他にエントリーしていた中堅歌人の歌集のほうが、「いい作品」だと考える。ただし、その中堅歌人の歌集には、北海道がテーマの作品はほぼなかった。一方、北山の歌集は、北海道に在住していた頃の〈主体〉の在り様を描いており、北海道の名を冠する短歌賞として、まことにふさわしい内容となっている。

 では、「北海道新聞短歌賞」の選考基準というのは、一体何だろう。まさか、「いい作品」でなくとも選ばれるというわけではなかろう。つまり、新人と中堅とベテランを横一線で評価対象にしている以上、その評価基準を明確しないと、北海道を冠したこの賞の権威も揺らぐのではないか、というのが筆者の主張だ。

(「かぎろひ」2022年5月号所収)