札響シベリウスツィクルスに行く

 今週末は、尾高忠明、札幌交響楽団シベリウスプロである。

 5、6、7の順に演奏するのもニクい。演奏会の盛り上がりを考えたら、スケールの大きい5番がメインプログラムにふさわしいだろうが、5、6、7番を演奏するなら、やはりコンサートの締めくくりは7番だろう。7番で終わってこそ、シベリウスツィクルスだ。

 ここのところ毎日、通勤の車内でシベリウスを聴く。旭川の真冬にシベリウスを聴いたら、凍えてしまうけど、せっかく定期で聴くのだから、それなりに聴きこんでおきたいのだ。

 私にとってシベリウスの音楽は夏である。夏にこそ、あの冷涼な音楽がぴったり合う。

 冬に聴くという人もいるらしいが、北海道の冬にシベリウスを聴いたら凍えてしまう。やはり、夏の早朝か夕暮れあたりに聴くのがいちばんだ。

 私は、30代の一時期、中富良野に住んでいた。中富良野の夏はシベリウスの5番が似合った。娘が3歳くらいのとき8月の夕暮れにシベリウスの5番を聴きながらドライブをしたことがあった。娘は助手席に座りご機嫌だった。多分、そのときの私は幸せだったのだろう。だから、いまでも5番を聴くたびに、あの頃のころを思いだす。そして、思い出すと、切ない気持ちになる。なぜなら、幸せだった頃のことを思い出しても、それは、かえらない時間なのだから。

 5番はスコアをみると、実に細かく書き込まれているのがわかる。

 森のざわめきが弦の弱奏で表現されている。

 ちなみに、他の曲のスコアはいうと、6番はシンプル。7番は、曲もスコアもやっぱり難しいという感じだ。

 3歳で私と一緒に中富良野をドライブした娘も15歳になった。不機嫌な顔をして、受験勉強をしている。もちろん、札響定期など私と一緒に行くはずもない。だから、私は、今年も一人で聴きに向かうのだった。