口語短歌とは何か②

2 口語のはじまり

 

・口語も文語も書き言葉

 ここまでの議論をおさらいしておこう。

 この曲と決めて海岸沿いの道とばす君なり「ホテルカリフォルニア」

                       俵万智『サラダ記念日』

 この作品は、口語短歌か、文語短歌か。というと、どちらでもなくて、口語と文語の両方が混在しているから「口語文語ミックス短歌」とでも名付けておこうということだった。

 では、口語と文語の違いとは何か、といえば、それは、叙述されている言葉ではなく、文法体系の違いに拠っている、ということだった。ただし、文法といっても、文法には書き言葉と話し言葉があって、ここで言っている文法というのは、あくまでも書き言葉のそれだ、というところまで話をしたのだった。

 そして、その書き言葉には2種類あって、それは、古典文法による用法と現代語の文法による用法の2種類ということ。

 すなわち、口語とか文語とかの議論というのは、話し言葉とか書き言葉とかの議論ではないということ。つまり、話し言葉が口語で、書き言葉が文語、ととらえてはいけない、ということを、やや遠回りしながら議論をしたのだ。

 口語とか文語とか、この2つは、書き言葉のなかの区別なのだ。

 これが、これまでの議論の重要なところだ。ここをきちんと理解しないと、いつまでたっても、口語や文語についての議論がよく分からないままになってしまう。

 しかし、口語や文語が書き言葉だと繰り返し主張しても、文語が書き言葉なのは分かるけど、口語が書き言葉というのは、どうにもいまひとつ、ピンとこないかもしれない。

 そこで、次に、文語とは何か、ということを議論するなかで、口語や文語がなぜ書き言葉なのか、という点について考えていきたいと思う。

 つまり、ここから先は、文語についての議論なのだが、やろうとしていることは、口語も文語もどちらも書き言葉なのである、という主張の繰り返しになる。

 

・明治期のムーブメント

 普通、一般に文語といえば、これまで議論してきた通り、昔の書き言葉のことを指す、という理解でいいだろうと思う。では、その昔とは、いったい、いつのことなのだろう。

 というと、日本で文字が使われるようになったり、その文字で何らかの内容が書き表されるようになったりした頃、という理解でいいだろう。とにかく、文字の使用によって、書き言葉というのが生まれた、ということについては、さほど難しい話題ではないだろう。であるから、その書き言葉の誕生は、飛鳥時代の頃でいいだろう。そうして、日本では飛鳥時代以降、文字を使って、あれやこれやのことが書き表されたことで、次第次第に書き言葉のあれやこれやの決まり事が定着していったのだった。この決まり事を分解して、規定して、分類して、体系づけたのが文法だ、ということは、これまで述べた通りだ。

 さて、この昔の書き言葉。当時の昔の人々は、この書き言葉を使って、会話をしていたか、というと、当然ながらそんなことはない。それは、現在の私たちが、書き言葉を使って文章を書いて、話し言葉を使って会話をしている、というのと同じことだ。ただ、残念なことに、話し言葉は、文字を使って書き表すことができないから、昔の人がどんな風に話をしていたかはほとんどわからない。

 これも、現代と同じといえば同じで、現代では、録音や映像が残っているから、昔よりは話し言葉について少しは分かるけど、ぜいぜいその程度でしか話し言葉というのは再現不能なのだ、ということもいえる。

 それはともかく、昔も今も、書き言葉と話し言葉は違っているのである。それは、文法体系が違っている、という前回述べたことからも明らかである。

 さて時代を進めていこう。書き言葉と話し言葉、この両者は、時代が進むにつれて、変化の速度が違っていく。話し言葉は時代とともにどんどん変化する。しかし、書き言葉はそんなに変化しない。だから、どんどん書き言葉と話し言葉の文法体系は、ズレていくことになる。

 また、話し言葉は、普段使いの言葉だから誰もが使うことができるけど、書き言葉は、どうしたってある程度の教養が必要だ。まずは、文字が読めないことには、書くことなんてできない。もちろん、読めれば書けるのかというと、そんなことはなく、ある程度の文章を読んで書かれてあることが理解できるようにならなければ、書くことなんてできやしない。

 そんな話し言葉と書き言葉だけど、両者がズレていくことで、何が困るかというと、自分の考えをキチンと伝えようにも、書き言葉では、いまいち伝えられない、ということだ。

 つまり、話し言葉であれば、自分の考えを細かなニュアンスや心の機微みたいなところまでキチンと相手に伝えられるのに、書き言葉だとそれができない、とうことになる。

 そうした困難が、日本人のある程度の教養のある者にとって切実性をもって降りかかってきたのが、近代主義が日本にやってきた明治期だ。この時期、個人主義とか近代的自我とか、とにかく、そうした近代思想が欧米からどっとやってきた。

 そんな明治期の日本で、個人主義だとか近代的自我だとかを書き表そうにも、当時の日本には、それにふさわしい書き言葉がなかった。つまり、書き言葉と話し言葉が別の言語形態のような状態だと、個人主義なり近代的自我なりといった個の思想を伝えられないし、そうした近代主義による文学も翻訳できない。そこで、何とかしようと生まれたのが、かなり乱暴なくくりではあるが、明治期の言文一致運動、ということになる。

 この言文一致運動。これは、民間というか、とにかく官製ではないところで、当時のインテリ層であった二葉亭四迷や山村美妙といった文学者が、話し言葉のような言葉で文章を表そうした試みである。この官製ではない、というところが重要なところで、ようは、いろんな人が同時多発的に手前勝手にやりはじめたということだ。まさに、運動、ムーブメントというにふさわしい。ちなみに、正岡子規もまた、この運動に反応して、あたらしい書き言葉について考えた一人である。子規の場合は、文末表現は「です」「ます」じゃなくて「なり」がいいという論陣を張っていた。

 そんな言文一致運動のなかで、新しい書き言葉が生まれた。そして、新しい書き言葉は、主に小説や翻訳の世界で、実際に試行されるようになった。こうした試行の一例としては、文末をこれまでの「なり」「たり」から、「です」「ます」「だ」「である」といったものに変えてみたのがあげられよう。しかしながら、こうした文末表現もまた、だんだん「た」へと統一されていく。これも、別に行政が決めたわけではなく、いろんな人が手前勝手に文末表現を試行していくうちに、どうやら、それがいちばんしっくりいく、ということで、使われるようになった、という理解でいい。

 ちなみにこの文末表現、最近というか、1970年代あたりから、小説の世界では、「た」を使用した助詞から、「る」の現在形で使用が多用されるようになってきていよう。「た」では、どうにもしっくりしなくなってきて、現在形「る」にしたり、体言止めにしたり、と、小説の世界では、文末表現をあれこれ試行されていよう。こうした試行による「る」の多用が、この先、だんだんと一般的なって、あと100年くらいしたら、この「る」は現在形ではなく、終止の意味あいとして書き言葉の用法が変わっていく、なんていうそういう文法形態になるかもしれない。

 それはともかく、これが言文一致運動という明治期のムーブメント。この運動によって、小説だけではなく、論文や行政文書などでも、新しい書き言葉がだんだんと使用されるようになる。そのはっきりとした転換は、終戦後という理解でいいだろう。

 そして、戦後から始まった新しい国語教育によって、そうした新しい書き言葉を教えるようになって、戦後生まれの日本人は、戦前までの、それまでの書き言葉による文章がいやはやさっぱり読めなくなった、ということになったのだった。

 

・では、文語とは何か

 さて、ここまでが、言文一致運動による書き言葉の転換の流れだ。

 ここまでの理解をふまえて、文語と口語について考えてみよう。

 まずは文語だ。

 文語については、言文一致運動を境にして、それまでの書き言葉を文語と呼ぶ、という理解でいいだろう。つまり、文語は昔の書き言葉、古典文法による書き言葉、という理解でいいだろう。

 じゃあ、それから先の、新しい書き言葉をなんというか、というと、それを文語の対義語として口語と呼んでいる、ということなのだ。

 だって、古典文法だろうが、現代語の文法だろうが、ここで議論していたのは、書き言葉の議論だったからだ。二葉亭四迷やら山村美妙やらが試行したのは、明治期の日本人が使っていた話し言葉のような言葉で文章を表そうとした運動だ。しかし、それは、話し言葉ではなくて、あくまでも書き言葉だ。ここが重要だ。

 いうなれば、当時の話し言葉のような書き言葉を模索したのが言文一致運動なのだ。

 だから、あくまでも口語というのは、話し言葉ではなく、書き言葉の体系を指しているのだ。

 さて、これでやっと口語とは何か、いう議論のゴールの直前まできた。ゴールまでもう少しだ。

 

話し言葉はまどろっこしい

 言文一致運動の目的は、普通に話している言葉で、書き言葉を表したい、ということだった。

 けど、それに挑戦してみたら、それは無理だということがすぐにわかった。なぜなら、日本語の話し言葉というのは、とにかく、まどろっこしくてしようがないのだ。

 それは、端的にいえば、日本語の話し言葉というのは、相手との関係性によって規定されているからだ。ここでの関係性というのは、簡単にいえば近い遠いの(親密か疎遠か)関係、と、上下関係ということになる。この2つの関係性によって、日本語の話し言葉は体系づけられている。このことを逆にいうと、対等な関係性による話し言葉というのは、日本語には存在していない、ということだ。

 これは、今でもそう。だから、こうした関係性をあらゆる話し方で規定するから、話し言葉はとにかく、「ね」「よ」「か」いろんな終助詞がくっついたり、「あの」とか、「えーと」とかのフィラーがやたらとくっついたりしている。最近では、「~じゃないですか」とか「させていただきます」とかのまどろっこしい用法がたまに話題になったりしているが、これも近い遠い関係と上下関係からなる日本語の話し言葉の体系のせいである。

 とにかく、日本語の話し言葉というのは、そういう関係性が前提になって使われるから、書き言葉のような対等なというか、フラットというか、そういう言葉の体系として使うのは、どうしたって無理なのだった。

 で、しかたななく、たとえば文末には「です」「ます」やらを使ってみて、いやしかし、これもまた、フラットではないなあ、と思いいたり、「である」「だ」を使ってみたり、そうこうするうちに、「た」がいちばんしっくりきた、というのが明治期の書き言葉の試行なのだ。

 であるから、言文一致運動によって使われるようになった書き言葉は、話し言葉を書き言葉にしてみようとことで、試行したことには違いないのだけど、決して、話し言葉そのものが書き言葉としてあらわすことができた、というわけではないのだ。

 だから、言文一致運動というのは、字義どおり、話し言葉と書き言葉を一致させようという運動だったかもしれないけど、実際やってみて、日本語では、話し言葉と書き言葉は一致できない、ということが分かったという運動でもあった。

 なので、言文一致運動というのは、それまでの書き言葉から、新しい書き言葉へ変換したという運動というのが正確な理解なのである。

 

・口語とは何か

 そういうわけで、口語というのは、言文一致運動のよって生まれた、新しい書き言葉のことを指す、という理解になる。口語というから、話し言葉のことを指すのではないか、と思われるかもしれないが、それは誤解である。というか、言葉の意味を正確に使おうとすると、誤解になってしまうということだ。そもそもの口語の名づけは、文章語としての文語、の対義語として、話し言葉としての口語、という意味合いだったのだろうが、話し言葉とは何なのか、ということをキッチリ考えていくことによって、口語という言葉の意味付けが違ってきた、ということになんだろうと思う。

 とにかく、話し言葉を書き言葉で書き表すことができない以上、口語は話し言葉のことを指すのではないのだ。

 であるから、口語文というのは、現代の書き言葉で書き表されている文章、というのが正確な理解になる。同様に、口語短歌というのは、現代の書き言葉で書き表されている短歌、という理解になるのだ。

 ここをひとまず、ゴールにしよう。

 

・生き残った文語

 明治期の言文一致運動は、それまでの書き言葉からより話し言葉に近い書き言葉へと転換する、一大ムーブメントだった。そして、その運動を通して、どうしたって話し言葉そのものを、書き表すことが不可能だということを身をもって知った運動でもあった。

 そうして、日本語の書き言葉は、文語から、少しずつ時間をかけて、口語へと移行していくことになる。しかし、いまだに文語が残っている分野がある。

 それは何か。というと、それがいうまでもなく、短歌に代表される、韻文の世界である。

 現在の日本語で文語が生き残っているのは、韻文の世界だ。韻文の世界というのは、短歌を始めとする、俳句、都々逸、連歌、川柳、標語といった、そんなものだ。最近では「推ししか勝たん」なんてフレーズが流行ったが、これも立派な韻文だし、「海賊王に俺はなる」は、意見が分かれる感じがするが、韻文といえば韻文だろう(ただし、文語ではないだろう)。

 そういう韻文の世界で、文語は生き残った。あとは、見事に絶滅した。

 では、まぜ文語は韻文で生き残ったのか。

 というと、ひとつは、やはり言葉のリズムがいいからだ。短歌でいえば、定型にのりやすいのだ。だから、他の書き言葉のジャンルが口語に移行したとしても、短歌は文語が残ったのである。

 しかしながら、こと短歌の世界に限っていえば、これはずいぶんと怠惰な態度とはいえないだろうか。

 だって、文学の世界では個人主義なり近代的自我なりにかぶれちゃって、それを表すための書き言葉を模索して文語から口語へ移行したってのに、こと短歌に限っていえば、相変わらずの昔ながらの文語によって、自我の詩を標榜していたのだから。なぜ、近代文学のように新しい書き言葉を模索しなかったか。あるいは、せめて近代詩のような書き言葉を模索しなかったか。

 というと、実際には、文語にかわる書き言葉で短歌を書き表す運動もないわけではなかったのだ。しかし、主流になるところまでは到底、とどかなかったのである。

 では、次に、そんな近代主義のなかでのあだ花のような、そんな口語短歌をみていきたいと思う。