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「歌のある生活」12子どもが詠んだ歌

 先日、学校の先生方の研修会で、短歌についてお喋りをする機会があった。研修会といっても参加者は十人程度の小さいもので、国語科授業の韻文学習の研修というのが会の目的であった。この研修会、実は私の昔の仲間の企画で、そういえば元教員の桑原が、最近は短歌をやっているらしいから、あいつを呼んだら面白いだろうということになって、私に声がかかったのだった。それで、昔の仲間のよしみで、一時間ほど短歌についてお喋りをしたのである。

 国語専門の教師に向かって、短歌について何か教育的な提言をすることなど、私にできるわけがなく、それでも、子どもの短歌作品の紹介や解説くらいだったらできるだろうとは思い、そこで、今回は「平成万葉集」(読売新聞社)をテキストに、そこに掲載されている子どもの作品を紹介することにした。この本は、出版が二〇〇九年とやや古いものの、現代を生きる市井の人々の飾らない生活歌が満載で、とくに、小中高生の子どもの歌が豊富に採られているのがいい。

 そこから私は、五首ほど選び、先生方に解説をしたのであったが、そこで思ったのは、とにかく、子どもの歌はすごいということだ。奇をてらわずスルッと詠む。にもかかわらず、技巧的にもウマい。もう、脱帽である。と、いうようなことを、研修会で喋った。以下に、歌の紹介と私の解説を載せるが、はたして私の感激が伝わるだろうか。(すべて前掲書所収、年齢は出版時)

はるのやまちょうちょがとんでにぎやかにみずのなかにこいがいっぴき

                              塩田丸子 (八歳)

 たぶん、この子は、はじめて短歌を詠んだのではないか。蝶の数の多さとの鯉が一匹だけという対比。実に巧みである。これだから、子どもの歌は、あなどれないのである。

公園でひみつの道を進んだらヨウシュヤマゴボウむかえてくれた 末岡玉恵 (九歳)

 普通に詠んでヨウシュヤマゴボウは出てこない。これは、担任の先生が「自分だけの発見を歌にしてね」という指導をしたに違いない。かように、教室での短歌創作のときには、教師の指導言は重要なポイントになる(と、少しは、講師らしいことを喋る)。

赤とんぼ差し出す指にそっととまる恋もそうならいいなと思う                              

                            築比地彩花 (十四歳)

 これはウマい。上句で実景を詠い、下句で心情を詠うという短歌の王道をいく構成。しかし、そんなこと作者はわかって作っているわけがない。詠んだらそうなったのだ。だから、子どもの歌はすごいのだ。

もう寝よう思ったとたんに朝になる夢もみるひまないくらいに 大久保藍(十四歳)

 この歌は二通りの解釈ができる。毎日が充実しているという現状肯定的な解釈と、今が忙しくて未来への展望が見られないという否定的な二つである。どちらを解釈してもいい。解釈の広がりのある歌は、いい歌である。

スベリ台幼い頃は大きくてこんなぼくでも世界が見えた     田村 元 (十五歳)

 中学生になると屈託のある歌が詠まれるようになる。「こんなぼくでも」が鑑賞のポイント。また、上句はたいへん共感性が高い。短歌は共感の文芸であるから、子どもの心情に寄り添って、歌を解釈するのは短歌の学習としては重要である(と、講師らしいことを喋って、終わった)。

 

「かぎろひ」2015年5月号所収