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「歌のある生活」国語教科書のなかの歌②

 前回からの続きです。

 中学校国語教科書にある馬場あき子のエッセイの話題でした。

 馬場は、中学生に紹介する近代短歌の作品として、はじめに正岡子規をとりあげたのでしたが、さて、子規に続く作品として誰を紹介しているでしょう。

 二人目も近代短歌の代表歌人です。そして、一人目が男性でしたから、二人目は女性の代表者がいいでしょう。となりますと、そうですね、この人になります。

 川ひとすぢ菜たね十里の宵月夜母がうまれし国美くしむ       与謝野晶子

 馬場は、子規の次に晶子を紹介しています。これは順当といえるでしょう。ただ、晶子を紹介するのはいいですが、前掲の歌を中学生に紹介するのは、私には、やや変化球のような気がします。私だったら、ごくオーソドックスに、この歌を中学生には紹介したいと思いますが。

 なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

 それはともかく、馬場のエッセイに戻ると、こののち、斎藤茂吉北原白秋を紹介した後、現代短歌にうつります。馬場は、現代短歌のことを「今日の短歌」と言って中学生に説明しています。馬場なりの用語の選び方なわけですが、そんなところにも中学校教科書のエッセイを読む面白さがあります。

 では、その「今日の短歌」の代表歌人として、馬場は誰をあげているか。馬場は、寺山修司をあげています。

 けど、ここで少し考えてしまいます。現代歌人の代表として寺山をあげることに異論はないけれど、果たして中学生に寺山の歌はどうだろうかと。これが、高校生だったら、いいと思います。寺山の短歌にある詩情、あれは高校生にはぴったりでしょう。けど、中学二年生にはちょっと早いのではないか。もちろん、早熟な中学生なら、寺山の世界はハマるかもしれませんが、中学生がはじめて触れる短歌作品として、寺山はどうだろう…。

 けれど、ありました。中学生にも共感できるであろう、ぴったりの一首が。なんだかわかりますか? そう、この歌です。

 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり      寺山修司

 これは、いいですね。中学生にも読解がたやすく共感もできるでしょう。中学生もじゅうぶん寺山の世界を味わうことができます。

 さて、馬場のエッセイも終わりに近づきます。最後、もう一人、現代の歌人を紹介しています。それは、俵万智です。

 俵万智の作品なら、中学生の感性にぴったりの歌がいっぱいあります。いっぱいありすぎて、どれを紹介しようか迷うくらいですね。

 馬場は、寺山修司の麦わら帽子に関連させて、俵万智の代表歌を紹介します。そうです、この麦わら帽子の歌です。

 思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ      俵万智

 これを短歌入門エッセイの最後に持ってきたのでした。この歌で、それまでの近代短歌とは違う現代的な情感を味わいながら、それが口語によっているためであるとか、句またがりや句割れという技法にも関係があることにサラリと触れたらいいでしょう、というのが馬場のこの歌をとりあげた意図なわけですね。さて、このエッセイを入口として、いよいよ短歌の学習に入っていきます。

 

「かぎろひ」2014年5月号所収