2014.05.30札幌交響楽団定期演奏会記 伊福部昭プログラム

2014.05.30札幌交響楽団定期演奏会

 

伊福部昭演奏会。

 

 私がはじめて伊福部を聞いたのは、高校の時だったと思う。

 多分「交響譚詩」だったろう。わかりやすい曲想で、1楽章はアレグロでぐいぐい押すから、高校生の時分には楽しめていただろう。

 そのうち、「日本狂詩曲」がNHK-FMでかかったので録音した。カセットテープの時代である。そして、当時のレコード(CD)録音は山田一雄と東響のしかなかった。これを繰り返しきいた。

 1995年からのキングレコードの伊福部シリーズには歓喜した。私は就職して、独身だったから、CDにカネをかけることができた。そして、広上淳一と日本フィルの名演奏名録音で楽しんだ。

 今では、伊福部のCDはやたらと現役版がでていて、もうフォローできなくなってしまったが、00年代前半くらいまでの伊福部の管弦楽の現役版は私はすべて持っていたはずである。

 伊福部の音楽の特徴はアレグロオスティナート。これをフォルテで執拗にやれば、疑似的なトランス状態になる。これが、伊福部音楽の最大の魅力だといえよう。伊福部本人も言っていたが、現在、彼の音楽が再評価されているというのは、ロック音楽のようなサウンドが普通になったことも要因とはいえよう。とにかく、大音響で鳴らす気持ちのよさに人々は魅かれているのは間違いない。

 

 さて、札響定期。

 1曲目はその「日本狂詩曲」。1935年に作曲され、先述のとおり、現役版はしばらく60年代に録音されたヤマカズ盤だけだった。北海道では、やっと2002年に札響が初演した。私は、この演奏会に行きたかったが、当時、教員だった私は、見事に学校行事の体育大会とぶつかっていて、あえなくいけなかったという思い出を持つ。このときは、体育大会の順延を願っていたがかなわなかった。

 札響は今回が2度目の演奏。指揮は高関健。

 1楽章。ゆったりとしたテンポ。ヤマカズはもちろん、広上・日フィル盤よりも、ナクソス都響よりも遅かった。けれど、それが、ピタリとはまっている。私は、高関の指揮はメシアンのトゥーランガリラもそうだったが、基本的に信頼している。実は、飯森泰次郎も、伊福部を取り上げたことがあり、それを札幌定期で聞いたことがあるが、このときは残念な演奏だった。気持ちが入りこんでしまって、どんどん荒くなるのだ。鳴らしすぎてしまう。それではだめなのだ。伊福部音楽は、アレグロオスティナートで突っ走ればいいというものではない。

 実は、相当、精緻な管弦楽法を用いているのである。これは、どうしたって、一面ではゴジラシリーズの映画音楽が伊福部の特徴だったりするから、なかなか気がつかないのだけど、「日本狂詩曲」なんて、本当に、細かくオーケストレーションがなされている。高関は、それをちゃんと聴こえるように整理しているのだ。

 それは私には感激であった。1935年の日本人がつくったまさしく現代音楽なのだ。すなわち、西洋音楽の伝統にのっとっていない、和声も旋律もリズムもすべてが新しい、日本発の現代音楽なのだ。

 2楽章の「祭り」も同様に、高関は冷静である。決して、バランスを崩さない。オケをはしらせず、知的にセーブする音楽づくり。これが伊福部の音楽には必要なのだ。そうすることで、若干25歳の伊福部が書き上げた巨大なオーケストレーションがわかるのだ。

 私は、感激した。この「日本狂詩曲」が聞けて私は思い残すことがない気持ちだった。だって、20年来の夢がかなったのであるから。

 

 2曲目はヴァイオリン協奏曲2番。

 これは札響初演。もしかしたら、献呈者の小林氏以外の演奏は、今回が初めてじゃあないかしら。多分、CDも小林と芥川指揮の新交響楽団の1枚だけだと思われる。

 演奏は、独奏者である加藤知子の音色は実に曲にあっていたと思った。

 私は、ヴァイオリン協奏曲の1番(ヴァイオリンの協奏風管弦楽曲)も、キタラで、徳永二男の演奏で聞いたが、あのときは、緊張感を抑え、開放的なおおらかな演奏で、その解釈も悪くないと思った。今回は、かなりヴァイオリンが主張していた。

 ただ、曲でいうとやはり、1番のほうが、メロディも構成も良いと思う。2番は、1番と比較をするなら、やはり演奏回数が少ないのも仕方がないと思う。

 休憩後、「土俗的三連画」。この曲も、私は札響の放送をエアチェックしてカセットに録音して繰り返し聞いていた。その録音が札響の初演だったのは今回はじめて知った。で、今回が札響2回目の演奏だという。

 これは、アレグロオスティナートではなく、伊福部節を堪能する曲。演奏はバランスもよく、楽しめた。

 メインは、シンフォニアタプカーラ。伊福部の代表曲にして、名演も多い。私は、実演を観るのは初めてだったが、たくさんの演奏をCDで何度も聞いているので、「日本狂詩曲」ほど大きな感激はなかった。

 金管楽器にとっては、難曲の部類に入るのだと思う。それでも、1楽章はいいつくりをしていたし、3楽章も理性的な演奏で楽しめた。けれど、やっぱり、フォルテで鳴らしてほしいところが物足りなかったり、ところどころバランスが崩れたりして、ブラボーというほどでもなかった。

 ただ、録音を聴けばまた違った感想になるかもしれない。

 

 これで、また、私の夢がかなった。

 伊福部の曲では、あとは「ピアノと管弦楽の協奏曲風交響曲」「サロメ」「ラウダコンチェルダータ」を実演で聞きたい。

 とくに、「ピアノ」は第2次世界大戦の最中の作曲で、当時の最先端の演奏技法や作曲法が駆使されている、正真正銘の最先端の現代音楽なのだ。それを、極東の山奥の林務官が作っていたというエピソードだけでも痛快なことだ。

 インターネットがなくても、当時の最先端の情報を集めることができたということでもあり、楽譜さえあれば音楽は研究できるということなのだ。

 

 伊福部のスコアは「交響譚詩」「バイオリン協奏曲1番」「日本組曲」を持っている。どれも、出版譜だから、難なく手に入る。

 私はそのほかのスコア、なかでも「日本狂詩曲」と「シンフォニアタプカーラ」のスコアが欲しくてネットで探しているだが、出版されていないようで、まだ手に入っていない。けれど、そのうちどこかで出版されるのではないかと思ってもいる。

 

 演奏したことがあるのは、「ゴジラ」と「日本組曲」。

 「日本組曲」はアナリーゼして、その独特の和声に感嘆した。これが19歳の処女作というのだから、言葉にならない。

 管弦楽版を吹奏楽にアレンジして演奏してみたけど、思ったほどならなかった。これは、もともと、伊福部のオーケストレーションはアマチュアには鳴らないようにつくられているのか、アレンジがおかしかったのか、演奏が下手だったのか、どれかはわからない。

 ただ、ゴジラマーチは演奏者も楽しく吹いていて、鳴りもよくて、気分はよかった。