「歌のある生活」インターネットの世界の歌④

 インターネットの世界にはブログと呼ばれるサイトがあります。ブログとは、個々人の公開日記みたいなものと思えばいいでしょう。その日にあった出来事や折々の場面で自分が思ったことを書き込んで、ネットを通してあらゆる人に読んでもらうというものです。画像を張り付けている人も多いですね。

 けれど、このブログに、私的な出来事を綴るのではなく、世の中の事柄について、個々人の意見や記事を書きこむ人もいます。いうなれば、個人発行の不定期ミニコミ誌みたいなものでしょうか。それは、短歌のジャンルについても同様です。ブログに、短歌に関する評論や時評や書評を定期的に書きこんでいる方がたくさんおります。

 私は、そうしたブログを定期的に開いては読んでいます。無料で個人が発行しているミニコミ誌を定期購読しているみたいなものです。無料の定期購読というと、どうにも矛盾した表現ではありますが、そこにある書評や評論は、定期的に目を通す価値のある、書店に並んでいる短歌総合誌にひけをとらない、なかなかのクオリティだと私は思っています。

 現在私が定期的にチェックしているのは、東郷雄二による歌集の書評サイト「橄欖追放(かんらんついほう)」、奥田亡羊、田中教子、永井祐の各氏による一首評サイト「短歌周遊逍遥」、詩歌サイト「詩客」のなかの「短歌時評」といったページです。

 東郷雄二のブログは、現代短歌の最前線にある歌集をいちはやく評論するといった趣です。まさしくネット向きの書評といえるでしょう。現代短歌の書評になりますので、いきおい若手歌人の歌集を取り上げることが多いです。今、氏のブログを開いたら堂園昌彦の第一歌集の評がアップされていました。

 

 夕暮れが日暮れに変わる一瞬のあなたの薔薇色のあばら骨     堂園昌彦『やがて秋茄子へと至る』

 球速の遅さを笑い合うだけのキャッチボールが日暮れを開く

 奥田亡羊、田中教子、永井祐による「短歌周遊逍遥」というブログは、各人の関心のある歌を取り上げて、自由に評論しているものです。あるときは、奥田が大橋巨泉の「はっぱふみふみ」を大真面目に評論していたりして、こうした自由さもネット的と思いました。

 みじかびのきゃぷりてとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ 大橋巨泉

 こんな戯歌を「なかなかの名歌」といい、「みじかび」と「はっぱふみふみ」が「季節感を共有して響き合っている」と評するなんて、まさに奥田の真骨頂かもしれません。

 今、ブログを開いたら、奥田は次の歌を紹介していました。

 たは易く人に許ししその過去を我よく知れり知りて溺れつ    小見山輝『春傷歌』

「詩客」というサイトは、短歌だけではなく、詩と俳句の創作も載せていますので、ネットで読む詩歌総合誌といった感じです。森川雅美が編集者として定期的に更新しています。そこにある「時評」欄は、編集者の依頼を受けた歌人が持ちまわりで書いています。

 今、ブログを開いたら、山田消児が現代短歌評論賞受賞作品を中心に論じていました。

 恐らく、私が知らないだけで、質の高い短歌ブログはまだまだあることでしょう。それだけ歌人の中には、創作だけではなく、評論への意欲も旺盛な人が多いということなのでしょう。

 

「かぎろひ」2014年1月号所収

「歌のある生活」インターネットの世界の歌③

 皆さんは、ツイッターをご存知でしょうか。これ、ごく簡単に言うと、一四〇字以内の短文をネット上で「呟い」て、それを投稿するというものです。橋下徹大阪市長の「呟き」に一〇〇万人ものフォロワーがいることがニュースになったりしましたが、登録をすれば誰の「呟き」でもネット上で読むことができます。私も橋下氏の「呟き」をフォローしていますので、一〇〇万人のなかの一人ということになります。

 私の場合はというと、橋下氏を含めて一二〇人ほどの「呟き」をフォローしています。となると、毎日一二〇人分の「呟き」が私のケータイに流れるのかというと、そういうわけではありません。一日に何度も「呟く」人もいれば、数ヶ月に一回しか「呟か」ない人もいます。橋下氏の例でいえば、氏は一日に三〇回以上「呟く」こともあれば、公務が忙しいと何日も「呟か」なかったりもします。

 私は橋下氏のほかに、全国にいる歌人の「呟き」をフォローしています。歌人であれば自作の歌を「呟い」て、それをツイッター上に投稿しているのではないかと思いがちですが、私がフォローしている歌人のほとんどは、自作の短歌を「呟く」ことはありません。これは、私たちの作歌を思い起こせばわかりますが、短歌を作るのと、思ったことを「呟く」のは、全然別の所作ということですね。それに、ツイッターに自作を投稿しなくても、自作を発表する場はほかにもあるということなのでしょう。

 しかし、自作を「呟く」ことはしなくとも、他の人の歌を「呟く」歌人は多くいます。つまり、自分が「あ、この歌いいな」と思った歌を、どんどんツイッター上で紹介するのです。ですから、私のケータイには、毎日、私の好みにかかわらず、いろいろな人の歌が流れています。例えば、今日だったらこんな歌が流れてきました。

 およげるにちがひなからん子供らの頭見えねど太鼓はきこゆ     木下利玄『紅玉』

 「見せてくれ心の中にある光」小沢健二も不器用な神        千葉聡『微熱体』

 わが頭から帽子をさらう海のかぜジョゼフ・フーシェは子ぼんのうなり

斉藤真伸『クラウン伍長』

 あたらしき生姜を擂ればこの夏の地霊かそけくわれに添ひくる   島田修二『春秋帖』

 こうしてツイッターでフォローしなければ出会うことのなかったであろう歌たちに私は毎日出会うのです。あるときは、なんと私の歌もツイッター上に流れてきました。

 春の日に組織を抜ける爽快よストラヴィンスキを聴いて愉しむ 桑原憂太郎「短歌人」(2013年6月号)

 私の歌を「呟いた」のは、「アゼリア街の片隅で」という名前の方。

 この方、私は一面識もありませんし、どなたか知りません。けど、この方は、面識のない私の歌を恐らくは「短歌人」誌で読んで「あ、この歌いいな」と思って、ツイッターに投稿したのでしょう。そう思うと、私はとても嬉しい気持ちになります。見ず知らずの方に私の歌が届いたのですから。

 もしかしたら、この「かぎろひ」誌にある歌もまた、誰かがツイッター上で「あ、この歌いいな」と思って「呟い」ているかもしれません。私たちが知らないだけで、インターネットの網の中に皆さんの歌が漂っているかもしれないのです。

 

「かぎろひ」2013年11月号所収

「歌のある生活」インターネットの世界の歌②

 皆さんは、題詠はお好きでしょうか。

 ただし、好きだという人でも、一〇〇の題を順番に一年間かけて詠むというイベントの存在については、あまりに突飛すぎて、驚かれるのではないでしょうか。

 そんな酔狂なイベントがインターネットの世界では毎年行われています。

 五十嵐きよみの主宰する「題詠Blog」のサイトです。はじまりは、十年前の「題詠マラソン2003」というネット上のイベントでした。これは、先ほど申し上げた通り、一〇〇の題詠を順番に詠みこんで一〇〇首投稿するというイベントで、マラソンになぞらえて、一〇〇首詠みきった参加者を完走者と呼んだり、早く詠み終えた参加者から順位をつけて表彰したりしていました。

 こうして完走者が詠んだ歌の数々は、『短歌、WWWを走る。』(邑書林、二〇〇四年)というアンソロジーとしてまとめられもしました。当時、歌壇では時評などでも取り上げられて、ちょっとした話題になりましたので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。

 この題詠のイベント、実は、現在でも毎年行われています。今年二〇一三年で、一一年目になります。例年、参加者は三〇〇名以上、完走者も一〇〇名を超えています。短歌のイベントとしては、なかなかの参加者数ではないかと思います。年齢層も幅広く、七〇代とおぼしきランナーも散見されています。

 昨年、二〇一二年がちょうどイベント一〇周年ということでしたので、記念誌の意味もこめて、またアンソロジーがでました。それが『短歌、BLOGを走る。2012』(牧歌社、二〇一三年)です。ここには、完走者一二九名のなかから有志三六名による四二五首がおさめられています。

 

とびっきり陽気に歌う鳥ばかり集まれパパゲーノの鳥籠に 五十嵐きよみ(題は籠)

ため息をついている人ばかり立つ飯田橋駅快速通過         村田馨(息)

やうやつと網にかかつた情報をつなぎ合はせて企画書を編む   桑原憂太郎(企)

軸足をいずこにせむか迷いつつ確信持てぬ論を説きおり     西中眞二郎(軸)

固めたる決意の隙を突くようにカレーうどんの汁は飛び散る   はぼき(カレー)

 

 ちなみに私、桑原憂太郎は、二〇〇四年より毎年参加、毎年完走をしていますので、これまで九年間で九〇〇首投稿したということになります。私のように、毎年参加している歌人もいれば、今回が初参加という歌人もいます。歌歴も、浅い方もいれば、歌集を出しているベテランの方もいますし、また、無所属の歌人もいれば、結社に所属している歌人までいろいろです。ついでにいうと、歌誌のペンネームとネット上のハンドルネームを使い分けている歌人もいて、出詠の名前だけでは誰だがわからなかったりします。

 主宰の五十嵐きよみは、一年でも長く続けていきたいと思う、と本書のなかで言っていますので、これからも毎年開催されるのではないかと思います。私は、だんだん体力(知力?)も落ちてきて、一〇〇首走りきるのもきつくなってきており、そろそろ辞めようかと思っておりますが…。

 そういうわけで、興味をもたれた方は、どうぞ「題詠ブログ」で検索してみてください。たくさんのランナーのたくさんの歌があふれています。イベントは毎年一一月までやっています。

 

「かぎろひ」2013年9号所収

「歌のある生活」インターネットの世界の歌①

 皆さんは、いつどこで歌を詠まれるのでしょうか。ベテランの皆さんでしたら、いつでもどこでも、旅先や散歩中などは当然のこと、仕事中や休日も、リビングや就寝前や入浴中、もしかしたら夢の中でも作歌されているのではないでしょうか。常にさっと詠めるように、メモを持ち歩いている方もいるかもしれません。もしかしたら、メモの代わりにケータイメールやタブレット端末に打ち込むというモバイル歌人もいるかもしれません。

 けれど、そうして詠んだ歌を推敲し一首として完成させるのは、どこでしょうか。おそらくは、原稿用紙のある机の上か、プリントアウトするためのワープロやPC(パーソナルコンピュータ)の前ではないかと思います。

 私は、作歌をはじめて一〇年そこそこですが、いつも詠むのはPCの前。常にPCのディスプレイに向かい歌を詠んでいます。

 そうやってウンウン唸りながら歌を打ち込むわけですが、PCはインターネットにつながっている。クリックするとすぐにネットの世界がある。もう、誘惑がいっぱいある。なので、いつも作歌なんてそっちのけになって、ネットの世界で遊んでいます。

 さて、そのネットの世界ですが、あちらの世界にも歌人はいるわけで、毎日たくさんの歌が網目に漂っています。

 私が作歌をはじめた頃は、HP(ホームページ)が全盛で、個人でHPを作成しては、そこに自分の歌を載せている歌人が多くいました。けれど、そのうちネットの世界はHPからブログに移ります。ブログはHPよりもずっと簡便で、PCに打ち込んだ文がそのままブログのページになる。なので、詠んだ歌を日記がわりに毎日ブログに掲載する、という歌人もいました。

 そうこうしているうち、ネットの世界でも歌会が開かれたり、新聞投稿ならぬネット投稿が行われたりするようになっていきます。こうなると結社の活動と同様に双方向になりますので、見事にネットコミュニティができあがります。ネットを通じて互いに歌を発表し批評し合ったりするわけです。

 そんなコミュニティのひとつに笹公人が主宰する「笹短歌ドットコム」というのがありました。これは、笹が師範役としてお題(題詠)を出し、ネット上で投稿を募るというサイトでした。笹が、それら集まった投稿歌を選歌し批評するというもので、現在は休止していますが、つい最近まで六年間にわたり活動し、初期の活動は『笹公人の念力短歌トレーニング』(扶桑社、二〇〇八年)として本にまとめられました。これを開くと、夭逝の歌人笹井宏之をはじめ、やすたけまり、山田航、松木秀などが常連の投稿者だったことがわかります。ほかにも、笹の「未来」をはじめ「塔」「かばん」「短歌人」などの結社に入っている歌人が参加しており、多くの若手歌人が結社横断的にワイワイやっている、という雰囲気です。

 そこでの歌風といえば、笹が主宰しているので、おのずとそのような歌が集まってきています。私も何度か参加をしまして、題詠「人形・ぬいぐるみ」では、最優秀をいただいたりしました。

ぱっとみてムックの方が愛情を受けて育った顔をしている      桑原憂太郎

…とまあ、紙媒体の投稿欄でしたら選歌されないようなものも、そこそこ評価をされるのが、ネットの世界なのかもしれません。

 

「かぎろひ」2013年7月号所収

ふるき日本の自壊自滅しゆくすがたを眼の前にして生きるしるしあり(土岐善麿)

  敗戦直後の歌である。土岐は、それまでの体制や思想を「ふるき日本」といい、それが自壊自滅してゆく様を眼の前にする。しかし、結句で「生けるしるしあり」と詠う。これは万葉歌(「御民われ生ける験あり…」)からひいてきているのであるが、ここの鑑賞が、今の時代からすると、ちょいと厄介だ。

 この土岐のひいた万葉歌は、天皇賛美の歌である。戦時中は、教科書に載り子どもが唱和していたというから、メジャーな歌であったろう。では、この万葉歌を戦意高揚の換喩とするなら、土岐は皇国日本の国体が自壊してゆくことへのアイロニーとしてひいたのか。

 いや、私はそうは読まない。敗戦直後、土岐にして国体の存続は自明であった。皇国日本の国体への疑義が生まれるのは、ずっと後のことだ。土岐は、万葉歌をひくことで連綿と続いてきた国体をおもい、戦後日本のいやさかを願ったのだ。そして、そのような心情は、当時の国民共通であったに違いないと、今に生きる私は思いをはせるのである。

「短歌人」2015年3月号所収

 

 

大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸をもつ(岡部桂一郎)

 なぜ、作者はマッチのラベルをみて「かなしいぞ」と思ったのか。

 そもそも、私は歌にあるマッチ箱がどんなものか知らない。もちろん今の時代、ネットで画像検索すれば、たちどころに日の丸を持った象の絵柄がディスプレイに映る。なので、作者のうたうマッチのラベルは、大正文化を知らぬ者たちも共有できる。そこで、ああこの歌は、このマッチ箱をうたっているのね、と作者の心情に寄り添うことは可能だ。

 けれど、この歌は奔放に過ぎる。どうも作者は読者に寄り添ってほしいなどとは、はじめから思っちゃいないのではないか。マッチのラベルも、俺の「かなしいぞ」も、別に読者にわかってもらおうなんて思っちゃいない、という作者の気ままさを私は感じる。

 ただ、そんな作者の気ままさに、こちらとしては逆に惹かれてしまい、作者はなぜ「かなしいぞ」とうたっているのかを詮索せずにはいられなくなるという、逆説にとんだ実に魅力的な一首となっている。

「短歌人」2015年2月号所収

 

うづくまるわが片頬に光さし自負の心のたかまらむとす(三國玲子)

作者はうずくまっている。なぜ、うずくまっているのかは、わからない。わからないけれど、うずくまっているというのだから、体をまるくしてしゃがみこんでいる。そして、おそらくはしばらくの間、そのままでいたのであろう。そこに、光が差してきた。光が朝日なのか、あるいは希望の光とでもいうものなのか、なんなのかはわからない。とにかく光が作者の片頬にあたった。

 そして、四句目だ。これが、この歌のポイントだ。「自負の心」である。作者はうずくまっていたが、光を片頬に受けたことで、自身のなかから「自負の心」がたかまってきたというのである。

 なんて若々しく、力強い歌なのだろう。「自負の心」と大上段に歌われては、私はもう作者の前に平伏したい心境にすらなる。

作者が、戦後の女性の社会進出を背景として、自立した女性像を詠んだ先駆であったという来歴もまた、この歌の力強さを補完しているといえよう。

 

「短歌人」2015年1月号所収