温かい歌集である。読むと、胸の深いところからほーっとする気持ちになる。それは、なによりも著者である柊明日香の人柄なのだろうと思う。短歌は、何を題材にしてもどんな風に歌っても許されるけど、やっぱり温かい人柄の歌人が紡ぐ温かい歌は、読者を幸せな気持ちにさせる。
折りにふれ昔を語る母といて納戸の整理とんと進まず
トーストの匂い満ちたる朝の部屋にとめどなく降る雪を見ており
「とんと」に著者の人柄が凝縮された一首目、真冬の歌なのにぬくもりの感じる二首目。歌集は、旭川に住む著者の身近な日常を詠った、いわゆる生活詠が中心といってよい。登場する人物は、父母、夫、舅姑、が主だ。そんな日常に季節や自然の移ろいを絡める。誰だって気持ちの沈むベタベタ、ジメジメの時だってあるだろう。まして、北海道の自然、とくに冬は厳しい。にもかかわらず、歌は前向きだ。実直に生きる生活人のしなやかさがある。
左目の視力亡くしし老犬といつもの道をひとまわりする
粗大ごみのシール貼られしストーブがしっとり濡れて門前にあり
駅中の伝言板は外されてわが初恋を思い出づるも
明日には忘れてしまう舅姑と桜の下に弁当ひらく
抒情性にあふれた歌の数々。一首目、老犬との散歩。「いつもの道」を歩くと詠うだけで、切ない情感のあふれる歌となる。二首目、粗大ゴミのストーブでさえも歌になるという、歌人の技量がうかがえよう。「しっとり濡れて」いた、という著者の発見、あるいは、抒情の発露が歌になった。
歌集は、著者の十四年間の歌作より三七一編を編んだというから厳選に厳選を重ねたのだろう。年代順に歌が並べられているのだけど、私には初期の頃のほうに瑞々しい抒情あふれる歌が多いように思った。抒情性というのは、身につけていくものなのではなく、その歌人の資質なのだということを改めて思う。柊明日香は、その持って生まれた抒情性をてらうことなく我意のものとして自在に詠っている。
最後に、是非とも私が言っておきたいのは、多くの歌にみられるすぐれた描写である。さりげないなかに著者ならではの観察眼が光り、そこにリアリティが生まれている。
園児らが反りかえりつつ見る空にディノサウルスが悠然とゆく
散り積もるさくら花びら押し上げてマルハナバチは飛び立ちゆけり
風呂の椅子に座りて豆の莢をもぐ米寿の母に秋の陽やさし
一首目の「反りかえり」。ちゃんと見なくちゃ詠えない。振り返っても、仰ぎ見ても、ツマラナイ。リアルな描写によって歌に命が吹き込まれている。二首目の「押し上げて」。短歌は、どれだけ観察できるか、そして、それだけ正確な描写ができるかで決まる。三首目の「風呂の椅子」。何気ない描写だけど、これがあることによって、一首が秋の日和を描いた一幅の絵画となった。
『かぎろひ』2018年1月号所収