穂村弘『水中翼船炎上中』を読む4


 穂村弘『水中翼船炎上中』には、注目すべき社会詠が散見される。ここを評しておかないと、この歌集を読み解いたことにはならないであろう。
 有名な一首。

電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっと君たちだから

 

 この作品は主題を上句とするか下句とするかで、大きく読みが二つに分かれる。
 上句を主題とするなら、昨今は、電車のなかで、化粧をする女性が話題となっている。あるいは、電車の中で、いちゃつくカップルもいる。こうした公衆の面前にもかかわらず、私的空間として振舞う若者たちなら、いっそのことセックスしたっていいじゃないか、だって、もう戦争だってありうる時代なんだから、という感じ。
 他方、下句に主題を置くと、安保法案も通り、平和国家たる日本も右傾化し戦争が現実的なものとなってきた。そんな時代だからこそ、若者は、電車のなかでセックスするような無秩序なことやってしまえ、という感じか。こちらの方が、より政治的な主張が強く、こういう風に読みたがる歌人が多いようである。なかには、きっぱりとこれは反戦歌だと言っちゃう評者もいたりして、「いや、アンタそれは違うだろう」と私などは思うのであるが。
 もちろん、読者はどう読んでも構わない。私は、上句を主題とするほうで読む。上句の破調の命令形が主題で読めと要求している。他方、下句は、「きっと」なんていう、弱気な副詞が抒情を醸し出しているし、結句の着地の柔らかさからは、戦争のリアルさを私は感じない。上句の破調ほうがずっと言葉に力がある。やっぱり、この作品は、反戦歌じゃあないよ。

口内炎大きくなって増えている繰り返すこれは訓練ではない

リニアモーターカーの飛び込み第一号狙ってその朝までは生きろ

ふたまたに割れたおしっこの片方が戒厳令の夜に煌めく

苦しいよ死にたいという書き込みに生きてとコメントする天使あり

 

一首目。下句は、SFなどで見かける常套句。そこに、上句の戯画的な描写を重ねることで、ウソ世界を象徴する常套句が逆説的にリアルに感じてしまうという、けっこう技巧的な作品。
 二首目。近未来の希望の象徴としてリニアモーターカーを持ってきて、他方、絶望の描写としての飛び込み。けど、その一番乗りを狙って、その朝までは生きろと呼びかける強烈なアイロニー。なかなか複雑な組み立てなのだけど、「その朝」がツクリゴトではない作品のリアル性を担保している。
 三首目。「厳戒令」が発せられた夜という緊迫の対極として「ふたまたに割れたおしっこ」。この両極端を取り合わせることでアイロニーを引き出すという手法。技法的には一首目に似ていて、上句のチープな描写があるからこそ、「戒厳令」がリアルに感じるのだ。
 四首目。インターネットの掲示板やSNSの書き込みに「苦しい」とか「死にたい」とかが書き込まれているのは、ありふれた日常の一コマに過ぎないが、そこに天使が「生きて」とコメントしたということで、強烈なアイロニーになった。「天使」を持って来たところにこの作品の凄みというか怖さがある。
 これで、穂村はひとまず、お終い。