口語短歌の最前線①

(過去に、歌誌に載せた記事の転載です)

 昨年(二〇二〇年)永井祐の第二歌集が出た。読むと、これまで短歌の世界にはなかった新たな表現技法が使用されているのが分かる。こうした表現技法が、今後のスタンダードになるのか、ただの実験で終わるのかはまだ分からない。が、現時点での最先端の表現技法であることは疑いえない。

 さて、本連載は、今回から「口語短歌の最前線」というテーマで、短歌の世界の先端部分では、どんな表現技法が使用されているのかを見ていくことにしたい。先端部分の表現技法といっても、難解な比喩や修辞が使われている作品を取り上げるのではなく、一読、平易な表現ながら、この作品のどこがいいのか、その良さが分からないような作品を取り上げて、あれこれ議論しながら、表現技法の新しさについて確認できればと思う。

 今回からは、まず、この永井祐の第二歌集『広い世界と2や8や7』を取り上げて、口語短歌は、今こんな感じになっている、というところを見ていきたい。

 

  君は君の僕には僕の考えのようなもの チェックの服で寝る

  春のなかで君が泣いてる 階段はとてもみじかくすぐに終わった

  七月の夜は暑くてほっとする むかしの携帯を抱いて寝る

 

 これらの作品、どうやったらうまく鑑賞できるだろうか。

 一首目、四句の途中までが、主体のモノローグ的叙述といえる。君と僕との間で、何かはっきりはしないけど、モヤモヤしたものがあったのだろう。「~のようなもの」という口語独特の表現から、そうした主体の屈折がうかがえよう。そして、結句で、理由は分からないが、この日はチェック柄の服を着て寝る、という叙述で結んでいる。

 二首目、君が泣いているという叙述があり、三句以降は、違う話題になって、どこかの階段が短いことが叙述されている。

 三首目、上句で夏の暑さにホッとしている主体の感情が叙述され、下句では、理由は分からないが、主体が昔の携帯を抱いて寝る、と叙述されている。

 以上、三首に共通していることは何か。といえば、二つの事柄が並列に並んでいるということだ。

 では、こうした二つの事柄が並列に並んでいる短歌作品は、どう鑑賞したらいいか。というと、俳句のいわゆる「取り合わせ」のような読み方で鑑賞する方法があるだろう。関係のない事柄がお互いに共鳴し合って一首にちょっとした衝撃を与えているという「二物衝撃」を味わう、といった感じだ。

 掲出歌でいうと、一首目は、主体の屈託とチェック柄で寝るという状況、二首目なら、君が泣いている状況と短い階段、三首目なら、夏の暑さの感慨と古い携帯を抱いて寝るという状況、といった「取り合わせ」を鑑賞ということだ。

 しかし、今回は、もう一歩踏み込んでみたい。三首それぞれ、主体の心情と、主体のおかれた状況の二つが並列に並んでいる、と読めないか。すなわち、一首目でいうと、主体の屈託と、チェックの柄で寝ると状況、といった感じだ。二首目、三首目も同様だ。

 こうした主体の心情と状況が並列になっている作品の構成というのは、いわゆる「短歌的喩」で読むと面白い鑑賞ができるのではないだろうか。(次回に続く)

(「かぎろひ」2021年7月号所収)