短歌時評2022.7

動画的手法とは何か

 

 短歌ムック「ねむらない樹」Vol.8は、「第四回笹井宏之賞」の発表号。二〇一九年の第一回目から数えて、今年で四回目。応募総数は五八九点。去年の「角川短歌新人賞」の六三三点には及ばないものの、「短歌研究新人賞」の五八三点より多いというのは、大きな注目点といえよう。

 選考委員は、大森静佳、染野太朗、永井祐、野口あや子、神野紗希の各氏。選考委員の顔ぶれからも、本賞が、比較的若年層をターゲットにしていることがわかる。

 今回受賞したのは、椛沢知世「ノウゼンカズラ」五〇首。椛沢は「塔」短歌会所属の三三歳(応募時)。過去、「歌壇賞」次席の実績もあり、実力はすでに認められていたといえよう。

 この連作からは、現代口語短歌の先端部分の技法をきちんと咀嚼したうえで、独特な作品世界をつくりあげていることがわかる。

 

  剥いているバナナに犬がやってきておすわりをする 正面にまわる

  ノースリーブ着てると窓開いてるみたい 近づいてカーテンにくるまる

  夏の大セールで買った妹はセーター厚地のヒツジの柄の

 

 一首目。下句の叙述が、極めて現代的。正面にまわったのは、おそらく〈私〉と思うが、唐突に〈私〉の動作が出てくるところで、おかしな叙述となっている。

 二首目。「~みたい」は、最近の口語短歌で様式化されている言い回し。「~ごとく」「~ように」につづく、第三の言い回しである。この用法に嫌悪するようなら、現代口語短歌は読めない。

 三首目。散文にすると、「妹は、ヒツジの柄の厚地のセーターを夏の大セールで買った」となるのだが、これを、わざとぐにゃぐにゃな文章にして叙述する。こうすることで、口語韻文として特色を出そうとしている。

 こうした叙述が、現代口語短歌の先端部分といえるが、現代口語短歌の叙述の別な特質として、一首のなかでダラダラと時間の経過を詠う、というのがある。これは、瞬間を切り取る、とか、写真のように場面を写生する、といったこれまでの歌作の発想の対極といっていい。また、〈主体〉の見たままを詠う嘱目とも違う。いうなれば、スマホで撮った数秒の動画をそのまま叙述している感じだ。「動画的手法」といっていいだろう。そんな、ダラダラとしたとりとめのない動画の様子を、そのまま叙述しようとして、結果、おかしな日本語のまま作品として提出している、という体裁になっている。

 

  手に引かれなくても犬はついてきて走って追い越して振り返る

  冷水で顔を洗えば両開きの扉が開く 顔が濡れてる

 

 一首目。三句目以降、犬の一連の動作をただ叙述している。そのため内容が実にとりとめのないものとなっている。

 二首目。二句目の接続がおかしい。また、結句の叙述がとつぜん客観的になっていて、日本語としておかしくなっている。

 こうした、「動画的手法」というのは、私見では、「現在形終止」を多用する口語文体が原因、と考える。この仮説を検証する紙幅はないが、ただ、こうした「動画的手法」というのは、現代の口語短歌のトレンドであり、現在、どんどん様式化されている、ということは指摘しておきたい。

 

(「かぎろひ」2022年7月号所収)