小池光「短歌を考える」を考える⑦

 さて、増音の次は減音である。

 小池によると、
初句減音
結句減音
二句減音
四句減音
三句減音
 の順番に重要ということのようだが、この重要度は話が進んでいくうちに、忘れられてしまって、初句減音以外は、全部禁制、ということになってしまった。
 つまり、小池によれば、初句4音は許容されるが、のこりの減音はダメ、いうことである。

 

 初句減音は、小池によると「これは日常使える、唯一の、減音破調である」とのこと。
 唯一と言ってんだから、残りは使えない、ということなのだろうが、それはともかく、次の2首をあげる。

 

さねさし相模の小野にもゆる火のほなかに立ちて問ひし君はも
しらぬひ筑紫の綿は身につけていまだは着ねど暖けく見ゆ

 ご承知のように、2首とも枕詞の4音。
 やはり、古典の朗々とした韻律に頼るしか4音は「調べ」として成立しないようである。

 

2句減音
 例歌なし。
「これは非常に禁制度大である」「全く不可能とは思わないが、まず、有り得ない破調と断定してよい」とのこと。

 

3句減音
「これは全く不可能である」と言うとおり、例歌もない。

 

4句減音
「二句減音型と同じことが云え、加えて、下句の加速度を失わしめるため更に禁制度が高いように思えるが、意外とそうではない」
ということで、山中智恵子の『紡錘』から三首あげている。

春の獅子座脚あげ歩むこの夜すぎきみこそはとはの歩行者
紡錘絲ひきあふ空に夏昏れてゆらゆらと露の夢たがふ
一枚の硝子かがやき樹を距つむしろひとに捨てしは心

 

 「キミコソワ」「ユラユラト」「ムシロヒトニ」で五音も六音も許容できるようである。

 

結句減音
「それほど禁制度が高いとは思えないが、あまり引用したい例がない」として、一首だけあげている。

亡き母よ嵐のきたる前にしてすみ透りゆくこの葉は何 
浜田到

 

「コノハワナニ」の六音。

 

 そういうわけで、小池は、初句4音以外は、ごく例外を除いて使えない、という立場である。
 私は、現代短歌でいえば、初句4音もダメだろうと思う。結局のところ、「短歌は字足らずよりも字余りの方がよい」という、わざわざ検討しなくても、実にありきたりな結論になってしまった。
 ただし、私も小池と同じく、2句減音、3句減音はダメとは思うが、下句の減音は結構いけるのではないかと思う。特に結句5音、結句6音は十分検討の余地があると思われる。
 けれど、この仮説にしても、例歌を集めて音型を分類していかないと「調べ」の検討にならないので、いずれの機会ということになりそうである。

 「調べ」については、いくつかの収穫もあったので、ひとまず、終わりにしようと思う。