<調べ>についてのまとめ②

 <調べ>についての議論で、筆者は、次の説を提出した。すなわち、

・短歌の<調べ>は、「強弱2拍子」で読み下せるものが良い

 という説だ。
 しかし、この説が正しいとするなら、必然的に、次のような仮説が成り立つ。
 すなわち、

・3句以外は、8音までは許容できるのではないか
・3句は6音のトマトトマト型なら許容できるのではないか

 という仮説だ。
 1つ目にあげた説でいうと、短歌は、何も57577の定型である必要性がなくなる。なぜなら、3句以外8音までなら<調べ>が崩れないのだから、77588だろうが、68578だろうが、何でもよいということになる。
 で、実のところ、恐らく現代の口語短歌は、そのようになっていくのではないか、と思っている。
 文語脈なら、57577のかっちりとした<律>の方が<調べ>はいいに決まっているのだが、完全口語は、どうもこの57577のかっちり、とは、相性が悪いのではないか。そのため、短歌の音節は増加傾向にある、というのが私の意見である。
 つまり、短歌を作る作業で、完全口語は、定型におさめるとしっくりこないんじゃないか。で、その「しっくり」がうまく説明できないまま、なんとなく、音節が伸びているのが現代口語短歌ではないか、と思うのである。これをとりあえず、音節「なしくずし」説、と名付けたい。口語短歌の「増音傾向」とか「字余り傾向」というのは、何か戦略的な意図とか、新たな「調べ」の創造とか、そういう主体的な方策によるのではなく、単に、定型におさめるとしっくりこないから、だんだんと「なしくずし」的に音節が伸びている、というわけだ。
 では、実際に作品を提出しながら、増音でもきちんと<調べ>にのっているかどうか、仮説の検証してみよう。

 まずは、初句の増音から。

 優先順位がたがひに二番であるやうな間柄にて梅を見にゆく
                      荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』
 ここはしづかな夏の外側てのひらに小鳥をのせるやうな頬杖
 
 荻原のこの最新歌集は、初句増音がとても多い。これは、なしくずし的に伸びている、というわけはないだろう。そうではなく、初句増音でも<調べ>はのせることができるという確信のもと、新たな<調べ>を試行している、ととらえたらいいと思う。
 1首目、初句4音3音の増音。2首目は、初句3音4音の増音。
 どちらも、強弱2拍子にのせることができる。
 1首目であれば、「ゆうせんじゅんいが・」で、「ゆ」が強拍、「じゅ」が弱拍の2拍子で打てる。
 2首目は、アタマを休符でとると面白い調べになる。すなわち、「・ここはしづかな」で、「こ」をウラに入れる。ウラに入れると必然的に強くなるからここは強拍。そして二拍目の「し」が弱拍。もちろん普通に、「ここは・しづかな」という取り方でも二拍子でとれる。
 1首目2首目とも、初句7音は、定型の5音に比べて、増音した分、<調べ>はせわしなくなっているのが分かると思う。初句2句とせかせかと流れて、3句目の5音で、やっと休止らしい休止になって息をつく、といった感じだ。
もう少し例歌を提出しよう。

 元日すでに薄埃あるテーブルのひかりしづかにこれからを問ふ
 夏のひかりのはかなさ綴るてがみにて涼とひともじ封緘をする

 1首目が4音3音の初句7音。2首目は3音4音の初句7音。初句のリズムが微妙に違っているのが分かると思う。
 他の歌集からも提出しよう。
 次の2首は、初句が4音3音になっている作品。

 大きな猫をどかすみたいに持ち上げて書籍の山を椅子からどかす
                   永井祐『広い世界と2や8や7』
 シロツメクサの花輪を解いた指先でいつかあなたの瞼を閉ざす
                   堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

 続いて、初句が3音4音になっている作品。

 スカイツリーと東京タワーをいっぺんに視界におさめて脳をなだめる
                   永井祐『同』
 これが最後と思わないまま来るだろう最後は 濡れてゆく石灯籠
                   大森静佳『てのひらを燃やす』
 左手首に包帯巻きつつ思い出すここから生まれた折り鶴の数
                   野口あや子『くびすじの欠片』
 
 先の2首と、これら3首のリズムの微妙な違いを感じてほしい。
 この違いがじゅうぶんに分かったところで、次の3音4音の作品の初句をみてみよう。この初句7音の<調べ>はどう感じるだろうか。

 一人カラオケ わたしはなぜかしたくなく君はときどきやっていること
                   永井祐『同』
 走れトロイカ おまえの残す静寂に開く幾千もの門がある
                   服部真里子『行け広野へと』

 筆者は、この2つの作品は<調べ>をあえて切っている作品と読む、
 音節を示すとこんな感じだろう。
<ひとり・からおけ/わたしはなぜか・/したくなく・・・/~>
<はしれ・とろいか/おまえののこす・/せいじゃくに・・・/~>
 つまり、強弱二拍子説で、拍節をとるなら、初句と二句の間には、休拍はない。
 しかし、表記では、初句二句の間は、一字アケとなっている。
 これは、休拍をとれ、という作者の指示にほかならない。初句を2拍子で読み下したら、空白の部分はG.P.(ゲネラルパウゼ)として、たっぷり間をとってから二句へと読み進めよ、というわけだ。
 等時拍強弱2拍子説で、もし、初句が五音なら、二句目に入るまでには1拍半の休止が入るのだけど、これら作品は初句7音でしかも3音4音で読み下す音節なものだから、初句二句の間には休止がなくなる。しかし、そうなると、あまりにせわしなくなって<調べ>が悪い。だったら、いっそのこと初句で<調べ>をいったん切ってから、2句に進んだほうが<調べ>はいいのではないか、と、算段して、1字アケを採用したのだろうと思う。
 もし、これら作品が、初句5音だったり、初句7音でも4音3音型だったりしたら、1字アケを作者が採用したかどうかは、分からない。初句3音4音型であるがゆえの表記ということがいえるのではないか。

 今回はここまで。
 次回は、初句6音を検討したい。
 <調べ>のまとめをするつもりが、結構、本格的な検討になってきてしまった。
 初句の検討がおわっても、まだ2句以降の検討が待っている。そうしてやっと、まとめとなる感じだ。