<文体>についてのまとめ①

 今回からは短歌の<文体>について、まとめていきたい。

 本Blogでは、主に<私性>をテーマとして、9回にわたって議論した部分である。

 そもそも短歌の<私性>と<文体>は、いかなる関係があるのか、というと、これは大ありで、というのも、「近代短歌」の世界では、作品を詠んでいるのは「私」であるというのが、大前提となっている。それは、近代文学のひとつのジャンルである「私小説」のような文芸である、ととらえても大きく間違っているわけではないと思うし、そもそも筆者は、明治期に標榜された自然主義文学の理想形が「近代短歌」である、というテーゼのもと、議論を進めている。

 それはともかく、「私小説」みたいなものなんだから、「私」の見たもの、感じたもの、考えたものを、「私」が詠んでいる、というのが「近代短歌」であり、そうなると、おのずと<文体>も、そういう形態になっていく、ということになる。

 

 瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり                                                 

                          正岡子規

 

 この子規の作品が典型だが、「私」が見ているものが詠われている。換言するなら、「私」の見えないこと、知らないこと、考えないことは、詠われない、ということでもある。これが「近代短歌」の<文体>だ。

 なお、この作品の「私」は誰かといえば、当然、病床にいる正岡子規だ。つまり「私=作者」だ。こうした決まりごとも「近代短歌」にはある。「近代短歌」は「私小説」のような文芸である、といっても大きな間違いではないというのは、こういう理由による。

 ただし、この「私=作者」は明文化されているわけではない。ただ、何となく短歌というのはそういうものだとして、作者は歌を詠み、一方、読者は歌を読み、その歌を理解してきたのだ。この読みの理解というのは、いわば、読みの作法みたいなものである。作品に「われ」「我」「吾」「私」「俺」など、とにかく、一人称がでてきたら、それは「作者」として読んでいいし、作品で、見えているもの、感じていること、考えていることは、それは「作者」のそれ、ととらえてよろしい、ということだ。

 けれど、そんな「近代短歌」にも今にして読み直したら、ちょいとおかしな<文体>の作品もある。

 

 東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる 

                           石川啄木『一握の砂』

 

 これなんかは、よくよく読むと、変な<文体>だ。

「東海の小島の磯の白砂に」は、作者である石川啄木の見ているものを詠んでいるかというとそんなことはない。啄木が見えているのは、蟹と砂浜だろう。

 この上句の視点は、イマドキの感覚でいうと、グーグルアースが東海の引きの画面からグーンとズームして蟹と遊んでいる石川啄木をキャッチしている感じだ。だから、筆者には、この上句の視点は作者というよりグーグルアースのように思える。

 けど、そうした議論がこれまでなされなかったというのは、やはり、近代短歌は「私=作者」である、という作法のもとで読んでいるため、よくよく読めばおかしな<文体>だとしても、大方は許容されていた、ということなんだろうと思う。

 さて、そんな「私=作者」が強固な「近代短歌」であったが、その「近代短歌」の文体>に変革を迫ったのが、「前衛短歌」だった。

 

 革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ                             

                        塚本邦雄『水葬物語』

 

 塚本のこの作品は、塚本のアタマのなかでこしらえた「私」が主人公となっている。「私=作者」からの脱却だ。「前衛短歌」というのは、こんな<文体>の変革といったチマチマした議論だけの小さな変革じゃなくて、もっとダイナミックな運動体だったといえるけど、とりあえず、いま議論している<文体>論の狭い範疇でまとめるなら、「前衛短歌」は、「近代短歌」とは違う、新しい<文体>を提出した、ということは間違いがない。

 さて、ピアノがドロドロになっていく様子を見ている主人公、この人物も「私」には違いないけれど、「近代短歌」の「私」ではない。すなわち、「私=作者」ではない。じゃあ、誰か、というと、残念ながら、名称がない。そりゃそうである。「近代短歌」の世界では、「私」は「作者」以外にはありえなかったんだから。「前衛短歌」によって、これまでにはなかった新しい世界が作られたので、名称も新たにつけなくてはならない。

 そこで、1980年代の終わりくらいから、作品にでてくる「私」については、<作中主体>とか<主体>という名称で呼ぶようになった。

 この新しい「私」の出現によって、短歌の世界は新しいステージに入った、と筆者は考えている。つまり、「近代短歌」とは明らかに違う、別の種類の短歌である。もし、この別の種類の短歌に名前を付けるのであれば、「近代短歌」と区別するために「現代短歌」と名付けるのがいいと思っている。なので、時間的推移というか短歌史として、「現代短歌」の始まりはいつか、と問われたら、それは、「前衛短歌」の始まり、すなわち、1950年代初頭である、と答えよう。

 ただし、「現代短歌」というのは、時間的推移というより、「近代短歌」と区別するために提出した短歌の種類であるから、「現代の短歌の世界=現代短歌」ではない。

 現代だって、「近代短歌」の方がまだまだ圧倒的に多い、というのが短歌の世界の実情であろう。つまり、現代でも、作品の中で、見たり感じたり考えたりしている「私」は「作者」である、という前提で読む、という作法が受け継がれている、ということだ。

 

 さて、<文体>に話を戻す。「前衛短歌」によって、「近代短歌」とは違う、新しい<文体>が出現した、というところまで、話を進めたのだった。

 「前衛短歌」から30年くらい時代が進み、1980年代に入ると、短歌の世界には、またも新しい<文体>が出現する。

 

 終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて                   

                        穂村弘『シンジケート』

 

 この作品、何がこれまでの<文体>と違うかわかるだろうか。

 注目するのは「ふたりは眠る」のところだ。

 「私は眠る」でも「あなたは眠る」でも「僕らは眠る」でもない。そうじゃなく「ふたりは眠る」なのだ。

 これは、<文体>の議論でいうなら、短歌が「三人称」で叙述されているということだ。

 小説世界でいうところの「語り手」と呼ばれる人物の登場である。

 と、いうわけで、ここまでで、短歌には3つの<文体>がそろった。

 すなわち、

・「近代短歌」の「私=作者」である<文体>

・「前衛短歌」に代表される、主体の見たことや考えたことや感じたことを、作者が主体に代わって叙述する<文体>

・穂村の作品のような「語り手」が語る<文体>

 の3つである。

 

 では、これで<文体>のまとめは完了か、というと、そんなことはなく、短歌の<文体>には、他にもいくつかのヴァリエーションがある。

 そうした<文体>について、次回、引き続きまとめていくことにしたい。