短歌の「写生」を考える⑥

 前回、次のような仮説を提出した。

 すなわち、現代短歌の「写生」作品は、これまでの近代短歌の読みとは、違う読みを求めているのではないか、という仮説だった。

 では、この仮説を検証するために、近代と現代の2つの「写生」作品を並べてみよう。

 

 瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり

                           正岡子規

 カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる

                         仲田有里『マヨネーズ』

 

 こうやって並べてみると、短歌ってのは、120年前の昔から、やってることは変わらないんだなあ、とつくづく思ったりもするが、それはともかく。

 子規の作品は、病床にいる子規の「視点」で描かれている。この「視点」は動くことはなく、その「視点」による「構図」によって構成されている。そして、<作者>の藤の花をみた「感動」が、<作者>の「主観」によって「韻文」化されている。

 一方の仲田の作品は、というと、こちらは<主体>の「視点」で描かれている。<主体>がカーテンの隙間から見えているものを<作者>の「主観」によって「韻文」化されている。これら2つの作品、<作者>と<主体>と「感動」の所在は違うけど、どちらも、「構図」は同じであることは分かるだろう。「視点」は動いてはいないのである。

 すなわち、「感動」の所在は違うものの、「韻文」化するために「視点」を定めて、その「視点」によって「構図」がとられているのだ。

 では、「主観」はどうか。

 子規の作品からは、<作者>の「主観」がよくわかるであろう。それは、華美な修辞を施さず、<作者>の見たままを「韻文」にしようとする意思である。であるから、この作品は「写生」作品のお手本として、現在でも秀歌として取り上げられている。

 一方、仲田の作品はどうか。というと、こちらの「主観」は、どうもいまひとつである。ということは、前回、既に述べた。もう少し、「韻文」として叙述のしようがあったろうに、どうしたことかこんなおかしな日本語で、「韻文」作品として提出している。

 この仲田の作品をどう評したらいいか。

 ひとつの解釈として、子規の作品とは違って、<作者>の「主観」を押し出すのを忌避している、といえるのではないか。

 これまでの議論のなかで、塚本邦雄の作品を掲出したときに述べたことだが、塚本の作品には、塚本という<作者>の強烈な「主観」があった。それは、塚本でなくては、あんな「韻文」は叙述できないと思わせる、強烈なものだった。これによって、第二芸術論への見事なカウンターとなったし、前衛短歌という短歌史に残るジャンルを築いた。

 塚本ほどでなくとも、どの短歌作品にも、その<作者>の「主観」が反映されているととらえてよいだろう。繰り返しになるが、100人いれば100通りの「主観」があるのだ。似たような「感動」を<作者>なり<主体>なりがしたとしても、その「感動」を「韻文」化するには、とにかく<作者>の「韻文」として完成させるための技量が必要だった。であるから、そこには必然的に優劣が生まれた。その優劣というのは、具体的には、うまい描写をするとか、いい修辞を使うとか、韻律が整っているとか、朗々とした調べだとか、そういう文芸作品として「韻文」化させる技量の優劣だ。そして、そうした<作者>の「主観」が作品に反映することで、短歌としていい歌とかそうではない歌とかの「読み」になるのだ。

 これまで議論したなかでは、塚本邦雄でなくとも、加藤治郎の作品を想起してみてもいいだろう。

 

 マガジンをまるめて歩くいい日だぜ ときおりぽんと股(もも)で鳴らして

                     加藤治郎『サニー・サイド・アップ』

 

 この作品については、終助詞ひとつで、<作者>は<主体>のキャラを立てようとしている、と述べた。そんな、<主体>のキャラを立てようなんて発想は、まさしく<作者>の「主観」によるものといっていいだろう。

 

 では、仲田の作品はどうか。

 と、いうと、この仲田の作品には、そうした<作者>の「主観」というものが忌避されているといえないだろうか。作品で詠われている「感動」についてはさておき、「韻文」として提出するんだったら、もう少し整えようがあっただろう。どこぞの結社の主宰に短歌以前として、添削されてしまいそうな作品といっていいかもしれない。

 換言すると、こうした叙述というのは、仲田という<作者>の姿が見えないのである。<作者>の「韻文」化への技量がみえないといっていいかもしれない。

 これは、どういうことだろうか。というと、これは<作者>の「主観」を通さずに<主体>の「感動」を、そのまま作品にしてしまいたいという希求なのではないか。

 つまり、<作者>の「主観」ではなく、<主体>としての「感動」をどうやったら、<作者>の「主観」を出さずに作品に反映させるかという、試行錯誤というか、あれこれ格闘した帰結なのではないか。

 例えば、子規なら、自分がみたものをそのまま「韻文」にしようとあれこれ格闘して、「写生」という方法をあみだした、といえよう。あるいは、塚本であれば、<作者>の「感動」によらない、「主観」の「韻文」化をもたらした。加藤治郎であれば、<主体>の「感動」をどうやって表現するかあれこれ格闘した。子規や塚本や加藤は、<作者>として、どうやったら「主観」を作品に反映させるか、という意志は自明であったといえよう。

 他方、仲田をはじめとする現代口語短歌の一群はどうか。

 <主体>の「感動」をそのまま「写生」するための方法のひとつとして、<作者>の「主観」を極力排するという方法を試行している、といえるのではないか。

 

 真夜中はゆっくり歩く人たちの後ろから行く広い道の上

                   永井祐『広い世界と2や8や7』

 雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁

                   斉藤斎藤『渡辺のわたし』

 あれは鳶そっくり文字で書けそうな鳴き声だなと顔あげて見る

                   山川藍『いらっしゃい』

 フルーツのタルトをちゃんと予約した夜にみぞれがもう一度降る

                   土岐友浩『Bootleg

 

 1首目。こちらも、おかしな日本語で叙述された「韻文」。<主体>が歩いているため、「視点」は歩くスピードで動いている。その動いている「視点」をそのまま叙述した風をとっている。そのため、日本語がおかしくなっている、と解釈できよう。

 2首目。永井の作品と同様に、<主体>は雨の県道を歩いているので、「視点」が動いている。そして、ぶちまけられたのり弁を見たところで、立ち止まったわけである。<主体>が現在進行形で見たものをそのまま「写生」したら、こういう叙述になったということだ。

 3首目。こちらは、<主体>の考えたことだけを現在進行形で「写生」してみた、という感じの作品。とりとめのない、どうでもいい、頭の中で浮かんだことを浮かんだ順番に叙述している、という風をとている。

 4首目。こちらは、<主体>にとって重要な行動である、フルーツのタルトを予約する、ということを頭のなかで確認し、その確認を叙述して、そのあとに、みぞれがまた降っているということを「写生」している。

 こうした現代口語短歌の「写生」作品というのは、<主体>の見たことや考えたことや思ったことを、そのまま叙述する、という構成をとっている。そして、こうした構成をとることで、<作者>の「主観」が排されている、ということがわかるかと思う。

 では、なぜ、<作者>の「主観」を排除したがるのか。

 というと、繰り返しになるが、それは、<主体>の「感動」をそのまま作品にしたいという希求によるものなんだと思う。

 もっというと、短歌作品というのが、<作者>の「感動」を叙述するものから、<主体>の「感動」を叙述するものへ変化したことによる、その帰結なんだと思う。

 どういうことか。

 この点について、次回述べていくことにしたい。