短歌の「写生」を考える④

 話を現代の「写生」に持っていきたいのだが、なかなかそこまでたどり着けない。

 とにかく<私性>を片付けないと、現代短歌は論じることができない。

 

 <私性>を論じるときに、<作者>とともに出てくる用語として<作中主体>とか<主体>といった用語がある。

 <主体>や<作中主体>といった用語が短歌の世界で使われるようになったのは、1980年代だ。短歌の世界では後にいわゆるニューウェーブという一群としてくくられる、どうもこれまでとは違っている作品が提出されはじめた時期だ。で、こうしたこれまでの短歌作品とは違う作品を批評するために、こうした用語が必要となったというわけである。

 つまりは、それまでの近代短歌の批評ではどうにもそうした作品群は批評できないということなのだった。

 

 マガジンをまるめて歩くいい日だぜ ときおりぽんと股(もも)で鳴らして

                   加藤治郎『サニー・サイド・アップ』

 ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら

 

 この加藤の作品については、つい2か月前にも取り上げたけど、「いい日だぜ」なんて言葉は、普通の生活では発しない。演劇的な言い方であり、要するに、<主体>のキャラクターを立てるためにこうした普通の生活で発しない言い方をしているのだ。

 そして、短歌で詠われている人物のキャラを立てようなんていう発想は、そもそも近代短歌にはなかったことだ。それは、歌の内容を脚色しようとか、大げさに表現してみようとか、オーバーに描写しようとか、いっそのこと作り事を歌にしてしまおうなんてこととは全く違う。そうしたことは、近代短歌にだってあった。

 前回とりあげた石川啄木は、母親を背負ったことないのに、背負ったことにしてあまりに軽くて三歩もあゆめなかったなんていう歌にした。こうしたものは作り事だし、別に、啄木だけがそんな作り事を歌にしていたわけではない。近代短歌だからといって、すべての作品が事実を詠っているなんてわけではない。

 けど、ここで主張しているのはそういうホントかウソかといった事実確認の話題ではない。加藤の作品だって、マガジンを鳴らしながら歩いたのか、制服にセメントの粉をすりつけたのか、といった事実確認をここで話題にしたいのではない。

 そうではなく、作品の登場している<私>は<作者>か否か、ということを議論しているのだ。

 近代短歌では、詠われている内容がホントだろうがウソだろうが、そこに出ている人物は、<作者>には違いなかった。もちろん、作品に登場している以上、ホントの作者よりもずっと善人だったり、かっこいい奴だったり、英雄気取りだったり、あるいは、わざとにトホホな人物のように詠ってみたりと、いろいろ脚色やデフォルメはしているだろう。けど、そんなデフォルメであっても、作品に登場する<私>は<作者>である、という前提で読む、というのが近代短歌の読みの「作法」だった。

 これは、いうなればエッセイを読むときの「作法」と同じだ。誰かのエッセイ集を読むときに、そこで語られている内容がホントなのかウソなのか読者はわかりっこないけど、とりあえずホントのことだろうとして読んだり、エッセイに登場する<私>は、等身大なのかデフォルメなのかわかりっこないけど、その作家のことなんだろうとして読んだりすることと同じ、ということだ。ついでにいえば、世の中に数多あるエッセイ集の、そのなかでも特に売れっ子作家のエッセイ集というのは、その多くが面白おかしく書いた創作であろうし、書いている人物もゴーストライターというか、その売れっ子作家の事務所のアシスタントが書いていると筆者は思っている。

 しかし、加藤の「いい日だぜ」のような作品は、そういうエッセイの類の話ではない。短歌に出てくる人物をどうやって造形するか、<作者>が、その造形に苦心しているということなのだ。こうした作品は、エッセイではなく、いうなれば私小説のようなものだ。

 いまどき、太宰治の小説に登場する太宰治のような主人公のワタクシを太宰本人として読むなんてことはないはずだ。つまり、いまどきの読者は、作者の太宰と小説のワタクシは別人格として理解していよう。

 そうとらえるのであれば、この加藤のような作品の登場というのは、短歌の世界にも、エッセイ集ではなく私小説のようなものが登場したといえるのではないか。

 つまり、マガジンを鳴らして歩いているのは加藤本人ではない。加藤本人が「いい日だぜ」なんて日常の場で言うことはない。それは、太宰の小説にでてくる主人公が太宰本人ではないのと同じ理屈だ。では、そうした<作者>本人ではない人物をどうやって呼ぼうか、ということで、短歌の世界では、作品に登場する人物のことを<作中主体>とか<主体>とかで呼ぶようになったのである。

 

 別に短歌の世界にルールブックがあるわけじゃないから、いつから、短歌に登場する<私>を<作者>から<主体>にその呼び名を変えるべきだ、となったのかはっきりは分からない。

 けど、繰り返しになるが、1980年代のニューウェイブの登場によって、明らかに短歌の世界は変化したと筆者は考えている。

 その変化を簡単にいえば、「韻文」については、それまでの文語とは明らかに「韻文」として様式の異なる、完全口語の作品が提出され、「私性」については、<私=作者>ではない<主体>とよばれる人物が作品に登場したのだ。

 そして、そうした作品群は、現在にいたるまで一つの支流を形成した。

 前回のたとえを使うなら、短歌の世界を「淡水」とするなら、近代短歌は明治の正岡子規の時代から滔々と流れる大きな川のようなものだ。そして、前衛短歌は、湖とか沼、みたいなものだというようなことを前回述べた。そのたとえでいえば、1980年代以降顕著になった、<主体>が登場する短歌は、近代短歌の本流とは違う支流みたいなものだといえる。もちろん短歌の世界の本流は、現在でも、<私=作者>で読む「作法」の近代短歌だ。

 けど、その一方で、そうじゃない短歌作品も「韻文」として洗練させながら、いかにキャラクターを造形するかなんてことを考えつつ歌作されていた。そうした作品の流れも、短歌の世界には存在していよう。かれこれ40年くらい、あれこれ試行錯誤しながら「韻文」として洗練させてきているのだから、本流には及ばないけど、支流といってもいいだろうと思う。それに、今後、たとえば100年後くらいには、こうした短歌が、近代短歌に代わって短歌の世界では本流になっているかもしれない。

 で、こうした短歌は、ここまで繰り返し主張しているように、本流の近代短歌とは別なものなのは明らかだから、何か別な名称で呼んだほうがいいと思うし、もし、呼ぶとするのなら現代短歌と呼ぶのがいいだろうというのが、筆者の立場である。

 

 話が別な方向に進んだので、「写生」の話題に戻したい。

 短歌の「写生」とはなにか。

 というと、<私>の「感動」を、<私>の「主観」で叙述する、というのが、本Blogでの簡単な「写生」の説明であった。

 近代短歌は、この<私>が<作者>であった。読者は、作品の内容がウソだろうがホントだろうかは詮索せず、<作者>の「感動」が作品に込められていると読み、<作者>の「主観」の叙述を鑑賞する、というのが読みの作法であった、ということも既に述べた。

 ただし、これも繰り返しになるが、<私>が<作者>である、ということは、近代短歌では自明のことであるから、そんなことはわざわざ言うまでもないことだった。

 しかし、前衛短歌の頃から、<私>が<作者>ではない短歌作品が本格的に提出されるようになってきて、80年代に、この作品に登場する<私>を<主体>と呼びましょうということになった、というのが大まかな短歌史の流れだ。

 では、そんな現代短歌では「写生」をどうとらえたらいいか。

 というと、<主体>の「感動」を、<作者>の「主観」で叙述する、ととらえたらいいのではないか。

 つまり、近代短歌では「感動」するのは<作者>だったが、現代短歌は<主体>に変化したんじゃないか、ということだ。

 

 と話が進んだところで、次回また続けていく。