わからない歌⑦

 斉藤斎藤は、初期の作品から、「私性」というものを追求している歌人である。短歌での「私」とは何かを執拗に突き詰めようとしている。ただし、それは、斉藤が作歌するなかでテーマとして浮上したのだと思う。はじまりは、現代社会のかけがえのない私、みたいのが作歌のテーマだったと思うし、そうしたテーマを作品に詠み込んでいくなかで、だんだんと「短歌の私性とは何か」なんていう難しいテーマに入りこんでったのだと思う。

 では、最近の斉藤斎藤は、どんな作風になったか。第二歌集『人の道、死ぬと町』(短歌研究社、二〇一六)から、鑑賞することにしよう。まずは、この作品。

 

 撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ

 

 この歌は、どう解釈したらいいだろう。

 一読して、スンナリ解釈できた、という人はいないはずである。

 この作品の初出は二〇一一年七月。この情報でピンときたら、相当すごい。この作品は、「証言、わたし」という連作一〇首のなかの一首で、二〇一一年に起きた東日本大震災後の福島県浪江町をテーマにしている。すなわち、この作品は、地震の後に津波が来た浪江町の様子を「証言」をいう形で歌にしたのである。

 じゃあ、いったい、誰の「証言」か。

 被災した浪江町の人の「証言」だろうか。まずは、そう仮定してみよう。

 浪江町の誰かが、作者である斉藤斎藤にこんな風に「証言」したのである。「いや、二階のベランダから、津波が来るのをケータイで撮ってたら、そこまで水が来て、あっという間で、もう、死ぬかと思って、ほんとに死ぬところでしたよ」。

 この「証言」を斉藤が取材で聞いて、それを一首にまとめた、と。

 けど、この解釈はダメである。なぜなら、結句が「死ぬ」だからである。死んだ人は「証言」しようがない。いや、死んだ人は「死んだ」であって、「死ぬ」は現在形だからまだ死んでないだろう、と思うかもしれない。けど、その疑問もダメだ。

 第三者の視点からみれば「死ぬ」も「死んだ」も両方言えるが、「証言」の当事者は「死んだ」とは言えない。当事者は、あくまでも「死ぬ」と言って、次の瞬間、死を迎えるのである。

 例えば、私は、「父が死んだ」とか「父は(もうすぐ)死ぬ」とかは、言える。また、私は、「私は(もうすぐ)死ぬ」とも言える。が、「私は死んだ」とは言えない。

 そういうわけで、この作品は斉藤が取材した「証言」ということにはならないのだ。

 じゃあ、いったい、誰の「証言」か。

 それは、津波で死んでしまった人の「証言」である。

 この意味がわかるであろうか。つまり、ケータイで撮っていて、津波がみるみる押し寄せてきて、「死ぬかと思って本当に死」んでしまった人の「証言」なのだ。

 では、そんな人の「証言」を斉藤はどうやって聞いたのか。というと、そんな「証言」を聞けるわけがない。つまり、これは、死者の「証言」を一首にまとめた、という、斉藤のフィクションなのである。

 さて、そんなフィクションを一首にまとめる意味はあるのだろうか。ということを、次回以降、検討していこう。

 

(「かぎろひ」2020年7月号 所収)